非難を一身に受けて和親を主張したチェ・ミョンギル(遅川)が今は領議政に。
領議政という高位の身分ながら二度も瀋陽へ行き疲れ切っている彼が、
故郷の衿川(クムチョン)に帰ってゆっくりしたい・・・と引退したがります。
王妃様が亡くなって三年経ったしたまには明るい仕事(婚礼)しましょうや!と
キム・ユ、シン・ギョンジン、キム・ジャジョムらが辞職を引き止めました。
大妃もいないようですし清と色々あったので婚礼話が進まなかったのでしょうか。
仁烈王后の逝去から三年後の仁祖16年12月2日、仁祖が二人目の王妃を迎えます。
チョ・チャンウォンの娘であるこの人が荘烈王后(張禧嬪に出てくる大王大妃)。
このとき仁祖はすでに44歳、荘烈王后はピチピチの15歳という年の差婚でした。
清のホンタイジは昭顕世子夫妻のために離宮を建てて朝鮮館と名づけていました。
朝鮮に関する政務はそこで行われ、世子たちはたまの帰国も許されていたようです。
イム・ギョンオプ将軍が明と戦わなかったことが明らかになりました。
さらに明の洪承疇(ホン・スンジュ)将軍が清に捕らえられてしまったことで、
明と内通していたイム・ギョンオプ、それを助けた領議政チェ・ミョンギル、
反和親の筆頭だったキム・サンホン(清陰)が清に引き渡されることに。
清と和親したのは明と関係を断つためではない!私の独断でやったことだ!
一国の領議政に無礼な態度をとるな!とチェ・ミョンギルが使臣に怒鳴ります。
仁祖18年11月1日、安東に引退していた71歳のキム・サンホンも王命で清へ。
仁祖に下賜された毛皮や手紙をありがたく受け取り、道中で詩を残しました。
行く 三角山よ もう一度 見よう 漢江の水よ
故国の山と川から離れたくないが この時代はあまりにも揺れている
二度と戻れないかもしれないが行くしかない・・・
かつて和親派と排斥派の二大柱だったチェ・ミョンギルとキム・サンホン。
不思議な縁で瀋陽の南館に一緒に捕らわれ、二人で詩を交わしたそうです。
この詩が祖国に伝わると大勢が感動し、イ・ギョンヨが二人に詩を送りました。
(いきなり詩合戦な最終回・・・。長くなるので詩はコメント欄に追記します)
瀋陽で約二年を過ごした二人は、仁祖23年に昭顕世子が解放されたときに帰国。
そのときチェ・ミョンギルは60歳、キム・サンホンは76歳でした。
さて、イム・ギョンオプ将軍も檻車に乗せられて清へと護送されています。
すると金郊駅(クムギョヨク)での食事休憩中にトッポ僧侶が救出しました。
追っ手もトッポ僧侶がバッタバッタと倒し、二人でわっはっはと大笑い。
その後二人で亡命の旅に出たそうです。それは明が滅亡する2年前のことでした。
―― 完 ――
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