*韓国ドラマあらすじ部*

韓流時代劇(韓国歴史ドラマ)の最終回までの全話あらすじストーリー(ネタバレ)&感想レビュー&人物相関図など。女人天下、同伊(トンイ)、王女の男、チャンヒビン、馬医、王と私、王の女、正祖イサン、大王世宗(テワンセジョン)、太陽を抱く月、キムマンドク、インス大妃etc

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<「傀儡王 仁祖」あらすじ 22話(最終回)>

非難を一身に受けて和親を主張したチェ・ミョンギル(遅川)が今は領議政に。
領議政という高位の身分ながら二度も瀋陽へ行き疲れ切っている彼が、
故郷の衿川(クムチョン)に帰ってゆっくりしたい・・・と引退したがります。
王妃様が亡くなって三年経ったしたまには明るい仕事(婚礼)しましょうや!と
キム・ユ、シン・ギョンジン、キム・ジャジョムらが辞職を引き止めました。

大妃もいないようですし清と色々あったので婚礼話が進まなかったのでしょうか。
仁烈王后の逝去から三年後の仁祖16年12月2日、仁祖が二人目の王妃を迎えます。
チョ・チャンウォンの娘であるこの人が荘烈王后(張禧嬪に出てくる大王大妃)。
このとき仁祖はすでに44歳、荘烈王后はピチピチの15歳という年の差婚でした。

清のホンタイジは昭顕世子夫妻のために離宮を建てて朝鮮館と名づけていました。
朝鮮に関する政務はそこで行われ、世子たちはたまの帰国も許されていたようです。

イム・ギョンオプ将軍が明と戦わなかったことが明らかになりました。
さらに明の洪承疇(ホン・スンジュ)将軍が清に捕らえられてしまったことで、
明と内通していたイム・ギョンオプ、それを助けた領議政チェ・ミョンギル、
反和親の筆頭だったキム・サンホン(清陰)が清に引き渡されることに。
清と和親したのは明と関係を断つためではない!私の独断でやったことだ!
一国の領議政に無礼な態度をとるな!とチェ・ミョンギルが使臣に怒鳴ります。

仁祖18年11月1日、安東に引退していた71歳のキム・サンホンも王命で清へ。
仁祖に下賜された毛皮や手紙をありがたく受け取り、道中で詩を残しました。
  行く 三角山よ もう一度 見よう 漢江の水よ
  故国の山と川から離れたくないが この時代はあまりにも揺れている
  二度と戻れないかもしれないが行くしかない・・・

かつて和親派と排斥派の二大柱だったチェ・ミョンギルとキム・サンホン。
不思議な縁で瀋陽の南館に一緒に捕らわれ、二人で詩を交わしたそうです。
この詩が祖国に伝わると大勢が感動し、イ・ギョンヨが二人に詩を送りました。
(いきなり詩合戦な最終回・・・。長くなるので詩はコメント欄に追記します)
瀋陽で約二年を過ごした二人は、仁祖23年に昭顕世子が解放されたときに帰国。
そのときチェ・ミョンギルは60歳、キム・サンホンは76歳でした。

さて、イム・ギョンオプ将軍も檻車に乗せられて清へと護送されています。
すると金郊駅(クムギョヨク)での食事休憩中にトッポ僧侶が救出しました。
追っ手もトッポ僧侶がバッタバッタと倒し、二人でわっはっはと大笑い。
その後二人で亡命の旅に出たそうです。それは明が滅亡する2年前のことでした。

―― 完 ――

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<「傀儡王 仁祖」あらすじ 21話>

南漢山城に避難してから45日後の1月31日、臣下と同じ青い官服を着た仁祖が
清の皇帝ホンタイジに会うために三田渡(サムジョンド)へ向かいました。
階段をのぼり、三拝九叩頭(サンベグゴドゥ)の礼をしてホンタイジと謁見。
頭を下げたからこれだけの被害で済んだんだぞ♪とゴキゲンなホンタイジが
「滅亡する明と大義名分を論じるな!オレらには毎年貢ぎものを送れよ!
世子夫妻と鳳林大君は瀋陽へ連れて行くからな!」と有無を言わさず命じます。
和親に反対していたホン・イクハン、オ・ダルチェ、ユン・ジプの引渡しも要求。
3人は最期まで清を認めず処分されましたが、ホンタイジはその気概を評価。
彼らを丁寧に弔わせ、碑石に「三韓山斗(サマンサンド)」と彫らせました。
この3人は、丙子(ピョンジャ)の年の三学士(サマクサ)と呼ばれています。

こうして会談を終えた仁祖は、その日のうちに昌慶宮に戻りました。
誰か一人を責めることでもないし・・・ってことで朝廷の人事改変はほとんどなく
都元帥のキム・ジャジョムと地方高官だけが罷免され配流されました。
2月8日、朝鮮から引き上げるドルゴンが昭顕世子と鳳林大君を連れ帰ります。
仁祖は弘済院まで出向いて、二人の息子とその嫁たちを見送ったそうです。
また、当時の朝鮮の人口530万のうち、60万人もが清に連れて行かれたとか。

さらに清は、今回の勝利を記念する碑石を建てろと命令しました。
碑石を彫った大提学イ・ギョンソク(白軒/ペッコン)は書き終えると断食開始。
左議政チェ・ミョンギル(遅川)が見舞い、実利を求めよう・・・と説得します。
そしてイム・ギョンオプ将軍とトッポ僧侶も降伏への憤りがおさまりません。
明と力を合わせて清を討てばいいんだ!と二人で盛り上がっていると、
「おろかな行動は慎んでくれ」と諌める手紙がチェ・ミョンギルから届きました。
まるで見ていたかのようなタイミングで届きましたよ!すごいですね!

さて、明から今回のことを追及され、弱り果てた仁祖がチェ・ミョンギルに相談。
理想や名分ではなく実利を求めると覚悟しているチェ・ミョンギルが答えます。
「明との関係を守るために苦労した経緯を国書ではなく外交文書で伝えましょう。
朝廷で論議しても分裂するだけ。清の手前、私の独断ということにしましょう」。
ってことで、トッポ僧侶に明の陳洪範宛ての文書を預けることを思いつきます。
前に清がカドを攻めるときトッポ僧侶がイム将軍の命令で陳将軍と洪承疇将軍に
意思を伝えたことがあったからです(そんなシーンあったっけ?思い出せません)

まだ明の目を気にするとは許せん!五千人を出させて明を討つ先鋒に立たせよう!
明と内通してるイム将軍とイ・ワンに指揮させよう!とホンタイジが怒ってます。
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<「傀儡王 仁祖」あらすじ 20話>

ニセモノを突き返した清が、今度は世子と政丞を送れと要求してきました。
私が行ってまいります・・・と昭顕(ソヒョン)世子は覚悟を決めています。
礼曹判書キム・サンホン(清陰)が強硬に反対し、国のために戦うべき!と主張。
皆の忠誠心を受け入れた仁祖は、公論を反和親と定め、世子を送りません。
前話で避難を批判した新進官僚オ・ダルチェやユン・ジプも民の前で演説し、
和親派の代表人物チェ・ミョンギル(遅川)への風当たりは厳しいようです。

仁祖14年12月19日、朝鮮側は少数で奇襲をかけて連勝を重ねるも、
24日に天候が急変し、25日には寒さのため多の人々が凍え死にました。
食糧も減り行き詰った仁祖は、もう一度使臣を送ると決め、こう命じました。
「決してこちらからは和親を口にせず、新年の礼物を渡してこい・・・」。
12月27日、牛と豚と酒を持ってきたイ・ギナムを、ヨンゴルテとマブデは嘲笑。
「こっちはその10倍を贈れるよ♪食糧不足なんでしょ?そっちで食べれば?」。
30日には清の皇帝ホンタイジが到着し、12万の総指揮にあたることになります。
仁祖たちを生きたまま降伏させたいホンタイジは部下ダイゴンに3万の兵を与え、
王子や世子嬪のいる江華島を攻めてこい!1日で終わらせろ!と指示しました。

やがて南漢山城に清の皇帝ホンタイジからの書状が届きました。
これまでの振る舞いを責めまくり「なんかあるなら言って来いよな」という
屈辱的すぎるその内容に仁祖はじめ臣下一同が涙を流して悔しさに震えます。
そなたの言うことを聞けばよかった・・・どうすればいい?と仁祖に聞かれ、
後金を清と呼び、皇帝と呼ばなければなりません・・・と答えるチェ・ミョンギル。
彼が書いていた清に送る書状をキム・サンオンが破り、絶食して抗議を示します。

1月22日、ダイゴン率いる3万人が江華島に上陸。朝鮮はほとんど戦わなかったとか。
一人でも多く生き延びるために、世子嬪は王子と別れ、幼い世孫を臣下に預けるも、
鳳林大君(後の孝宗)と麟坪大君(彼のかなり先の子孫が高宗)が清に捕まります。

こうしてチェ・ミョンギルらがヨンゴルテと和親交渉に入りました。
1月31日のホンタイジと仁祖の謁見についてヨンゴルテが色々と条件をつけます。
「三田渡(サムジョンド)に王は50人を連れてきてもいいけど礼を尽くせよな!
袞竜の御衣なんてとんでもない!官服と同じ藍色の服を着て西門から出ろよ!
世子や大君や高官の子供たちは瀋陽(しんよう=清の都城)に連れて行からね!」
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