譲位を望んだ中宗だったが、判府事ユン・イムらが譲位を公論していたと知ると激怒する。世子は血を吐くまで席藁待罪(ソッコデジェ)をして邪心がないことを示す。正妻キム氏への振舞いに怒った王妃(文定王后)は、ナンジョンの生死与奪権をキム氏に与える。その後、キム氏の懐妊が判明すると、ナンジョンはキム氏の不義の疑いを演出。出て行けとキム氏に命じられたナンジョンは、キム氏を毒殺した。王妃はナンジョンに厳しい拷問を与えることで、ナンジョンの無実を中宗に信じ込ませる。
10年後、ユン・イムとウォンヒョンの争いは激化していた。みかねた巴陵君(パルングン)やユン・ウンポは、二人を朝廷から遠ざける。王妃の産んだ慶源大君に継位させたいナンジョンは東宮殿に火を放つが、すんでのところで世子が助かる。
中宗が57歳で崩御すると、世子が仁宗に即位。大妃(文定王后)は仁宗の孝行心を利用してユン・イムからの攻撃を牽制する。仁宗は学者を重用して善政をおこなうが、即位9ヶ月でナンジョンが盛った毒に倒れた。パルングンやユン・イムが死因を疑う中で、慶源大君が明宗となり、母の大王大妃(文定王后)による垂簾政治が始まる。
妓生ソ・ウォルヒャンはユン・イムの側妻となり、吏曹判書になったイム・ペクリョンとも密通を続けていた。ユン・イムが鳳城君(ヒ嬪息子)を王に推戴するとウォルヒャンから聞いたナンジョンは、手紙を捏造して逆謀事件をでっちあげる。イムの前で取調べを受けたウォルヒャンは、ナンジョンの指示に従いユン・イムの謀反を告白。こうして乙巳士禍(ウルササファ)が起こり、大ユン派を導くユン・イムほか多くの学者が処分された。ヒ嬪は鳳城君の救命と引き換えに宮殿を出る。大王大妃らとの溝を深めたウォンロは賜死された。
乙巳士禍の二年後、大王大妃とナンジョンは都を騒がせた匿名書を利用して、大ユン派の残党や鳳城君も始末し、イ・オンジョクは流刑にした(良才駅壁書事件)。続いて、明宗を叩いてまで政治を操る大王大妃に抗議したパルングンを配流。タンチュ僧侶と革靴屋がナンジョンとの関係を教えようとするが、パルングンは自分の子が娘ですでに婚礼を挙げたことだけ聞くと満足して二人に玉佩を託し、処分された。
敵対者を一掃した大王大妃は、ウォンヒョンを右議政に昇進させ、ナンジョンに貞敬夫人の位を与えて兄の正妻にする。ウォンヒョンは王をしのぐほど贅沢に暮らした。タンチュ僧侶はナンジョンにパルングンが父であると告げ、玉佩を渡した。大王大妃に忠誠を尽くした昌嬪は宮殿にとどまっていたが、中宗の崩御4年後に亡くなる。イムはウォルヒャンを正妻にすると約束し、謝恩使として明へと発った後、落馬してこの世を去った。占い師パンとタンゴル夫婦は革靴屋から旅立ち、革靴屋は放浪を続ける。
民は飢え、乱世が続き、士林派の反発が強まっていた。大王大妃は仏教を保護し僧侶・普雨に要職を与えた。二十年の専制政治の後、大王大妃が65歳で崩御すると、ウォンヒョンとナンジョンは都を追われる。都の情勢を探りに戻ったナンジョンが民に責められて亡くなったという誤報を聞き、ウォンヒョンが自害。ナンジョンも後を追って入水した。(完)