最終回ですよー。
禧嬪チャン氏(オクチョン)の誕生日、義姉スクチョン(ヒジェ後妻)が来て祝い、
王妃(仁顕王后伝)も亡くなったので女官たちも喜んでいたとか。
神堂で呪いをしていたところに粛宗が現れ、皆は突然の来訪に驚いたものの、
王妃もいないし誕生日だから来てくれたのだと膳を用意。
そんな女官のようすを粛宗は観察していたと「仁顕王后伝」にあるそうです。
西側の殿閣に王妃を呪う神堂があると聞いたが?と問う粛宗に、オクチョン大否定。
それでも実地調査がされることになり、祭壇が見つかっちゃいました。
就善堂の地神をなだめるため&体が弱い東宮のためという説明に納得しかけるも、
粛宗がふと屏風の裏を怪しがり、あの似顔絵が発見されます。
これは中殿の絵だろ!?とすぐさま粛宗が怒ってますけど、
あんなへたくそな絵なのによくわかりましたよね~すごいです!!
と思ったら、やはり王妃の絵とは確信がもてなかった(?)のか、
チョン尚宮らを拷問して確認してま~す。尚宮も女官も必死に否定しますが、
続けて捕らえられた巫女がいともカンタンにケロリッと吐いちゃって、
その他のプチ呪い(差し入れた服とか踏み石に埋めたブツ)の件もバレました。
貴人キム氏は会心の笑み♪淑媛チェ氏は密告したことに心を痛めています。
粛宗は、病気の王妃に見舞いもせず“ミン氏”と呼んでいたオクチョンを非難。
済州島のチャン・ヒジェを処刑し、側室は王妃になれないと定めさせます。
さらにオクチョンの処刑も表明すると、世継ぎの生母ですからと少論派が反対。
世子(後の景宗)も席藁待罪(もソッコデジェ)して母の救命を嘆願します。
すると粛宗は領議政を追放し、再びオクチョンの自害を命じました。
賜薬が運ばれてくると、先に東宮を殺せ!!とオクチョンは断固拒否。
怒った粛宗に乗り込まれても、私の罪名は何ですか?と真っ向から歯向かい、
芯の弱い(←断言)殿下を慕い世子を産んだことですか?
ミン氏の短命を私のせいにするのですか?と反論しまくりです。
押さえつけられたオクチョンは賜薬を蹴飛ばし、器が粛宗にゴツンと当たります。
口を開けて飲ませろー!と怒鳴る粛宗。やっとオクチョンが命乞いして
最後に世子に会わせてくださいと願っても受け入れず、賜薬を飲ませます。
もう1杯そそげ!と2回もおかわりさせて飲ませてましたよ・・・
バカップルの喧嘩の末の処分のような描かれ方でしたね~
母の死を知り床に伏した世子に、粛宗の“聖恩”がしらされます。
世子夫妻に三ヶ月の喪を与え、オクチョンの待遇は生前のままで
盛大な葬儀を宮外で行ってもよいというものでした。
綺麗にお化粧され輿の中に座らされたオクチョンの遺体が運ばれていきます・・・。
通訳官チャン・ヒョンの娘であるチャン禧嬪の本籍は仁同(インドン)。
孝宗10年に生まれ、粛宗27年(1701年)に43歳で人生の幕を閉じました。
衝撃の事実ですが、このドラマでは、オクチョンは憎めない賢くてかわいい女性、
仁顕王后は奥ゆかしい女性として描かれていたようですよ~~!
現在オクチョンは明陵の西五陵に眠る粛宗と仁顕王后のそばで眠っているそう。
粛宗はオクチョンの死の19年後、60歳で崩御。在位期間は46年でした。
その後オクチョンの息子である景宗が王位につくも在位4年、37歳で崩御。
次の英祖(淑嬪チェ氏息子)の在位期間は52年、83歳まで生きたそうです。
―― 完 ――
※チャンヒビン登場人物の整理やつぶやきなどは今後
こちらで記事にしていきます。