*韓国ドラマあらすじ部*

韓流時代劇(韓国歴史ドラマ)の最終回までの全話あらすじストーリー(ネタバレ)&感想レビュー&人物相関図など。女人天下、同伊(トンイ)、王女の男、チャンヒビン、馬医、王と私、王の女、正祖イサン、大王世宗(テワンセジョン)、太陽を抱く月、キムマンドク、インス大妃etc

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<「王と妃」あらすじ簡易版 178~186話(最終回)>

燕山君の生母ユン氏の復位を仁粹大王大妃は頑として拒み続ける。燕山君の暴走を止めていた府院君シン・スンソンが逝去すると、燕山君は自分に諫言する内官を戒めるため首に慎言牌を下げさせたり、宴で当時のことを持ち出して重臣を脅すなど、「罪人の子」という烙印を祖母に消させるために常軌を逸した行動に出る。やがてハン・チヒョンもこの世を去り、仁粹大王大妃と燕山君の間を取り持つ者は誰もいなくなった。

イム・サホンの意を受けたチャン淑媛のすすめで母の墓参りに出かけた燕山君は、荒れ果てた状態に衝撃を受けてイム・サホンを呼び、続いて祖母シン氏と対面。母が策略に落ちたと聞かされるとともに、母の血のついた遺品を目の当たりにした。だが仁粹大王大妃はユン氏のことを悪し様に言い、燕山君も廃嫡すべきだったと罵る。憤った燕山君は、チョン貴人とオム貴人を引きずり出し、チョン貴人の息子である安陽君と鳳安君に棒で叩かせた後、大王大妃殿でも狼藉を働く。

震え上がった重臣たちはユン氏の復位を進め、陵墓も懐墓から懐陵に昇格された。二人の貴人の家族は流刑され、ユン氏に賜薬を運んだイ・セジャは観念して命を絶った。燕山君は、イ・セジャを弾劾しなかったことを理由に学者を処分し、チョン・チャンソン、ハン・ミョンフェ、ハン・チヒョンら故人にも制裁を下す。この事件は甲子士禍と呼ばれている。

「大君を産んだ王妃ユン氏に権力を奪われないために追放し、官僚をその共犯者にすることで王室の配下においた」と燕山君義兄シン・スグンに明かした仁粹大王大妃は、燕山君を不孝者のままにしておくために和解と謝罪を拒み続け、晋城大君を守ろうとする。そんな仁粹大王大妃が69歳で逝去したのは、燕山君が待ち望んでいたユン氏の復位式の前日だった。燕山君は仁粹大王大妃を世子妃の待遇で弔わせ、人々が泣くのを禁じた。

燕山君はチャン淑媛と昼間から遊び、朝会にも經筵にも出ない。狩りに邪魔だった民家を撤去させて禁標を立てさせ多くの流民を生み出し、宴を開いて重臣夫人を襲い、諫言したキム・チョソン内官を斬るなど、非道なふるまいを重ねる。チャン淑媛と兵曹判書イム・サホンが権勢をふるい、出世できないユ・ジャグァンは不満を抱いていた。

そんな折、燕山君に貞操を奪われたと噂されていた月山大君夫人パク氏が命を絶ち、弟のパク・ウォンジョンが謀反の名分を得る。燕山12年、娘婿にあたる晋城大君の擁立をシン・スグンに持ちかけるも協力を断られたため始末すると、ユ・ジャグァンらとともに宮殿に突入し、国璽を奪った。新しい国王には晋城大君が即位し、中宗が誕生する。燕山君は喬桐県に送られ、ほどなくして逝去した。(完)
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<「王と妃」あらすじ簡易版 169~177話>

成宗の崩御から自分の即位まで5日もかかり、その異常事態を臣下が許したことに燕山君は深く傷つく。仁粹大王大妃は王大妃(安順王后)が憤るほど燕山君に辛くあたり、晋城大君をことさら可愛がる。生母ユン氏にまつわる真実をどこまで知っているかを隠していた燕山君だったが、本来は読むのが禁じられている承政院日誌を読みふけると、母の墓の移転を命じる。仁粹大王大妃と燕山君は断食して対抗しあう。ハン・チヒョンと燕山君の義父シン・スンソンが二人を和解させたものの、燕山君は宮殿の外に楽しみを求め、斉安大君邸で開かれる宴で遊んだり、やさしい月山大君夫人パク氏に母のことを聞きたがる。

墓陵の騒動を受けて領議政シン・スンソンが辞表を提出。新しい人事が発表されるが、領議政は空席のままだった。編纂中の『実録』の内容を管理したい仁粹大王大妃がハン・チヒョンを任用したいからだと人々は推測する。「世祖が徳宗(懿敬世子)の側室と関係した」と記されるという噂を知った仁粹大王大妃は右議政ハン・チヒョンに探らせ、国王でも干渉できない『実録』への口出しに学者たちが反発を示した。

『実録』の責任者で左議政のオ・セギョムは困り果て、ユ・ジャグァンが言葉巧みに近づく。世祖の正統性を否定する「弔義帝文」が確認されると、燕山君は史官キム・イルソンらを取り調べ、母の記録を執拗に読みたがり、仁粹大王大妃の意向だと称して大勢の学者を追及。キム・イルソンはもちろん、彼の師匠で「弔義帝文」を書いた故キム・ジョンジクにまで処分が及び、史官イ・モクと私信を交わしたイム・サホンの息子ヒジェも捕らえられる。これが燕山4年に起こった朝鮮王朝最初の士禍である戊午士禍であり、燕山君は王権を強化し、ユ・ジャグァンは恨んでいたキム・ジョンジクに復讐を果たした。

王妃シン氏が産んだ大君が病弱なため、月山邸に預けられ、燕山君がしばしば訪問していた。月山大君の未亡人であるパク氏と燕山君の関係が噂される中、燕山君は斉安大君の屋敷で知り合った妓生チャン・ノクスを淑媛にして宮中に入れ、仁粹大王大妃に挨拶に行かせた。さらに大王大妃殿のそばに宴会用の東屋を建てるなどして祖母に挑む。

燕山君に生母ユン氏の復位を命じられた領議政ハン・チヒョンに説得されても、もちろん仁粹大王大妃は首を縦にふらない。次に王妃の父シン・スンソンが訪ねると、シン・スグンの娘と晋城大君の縁談を申し込まれる。府院君一族と結婚させることで晋城大君を守れると考えたからだ。復位の議論が進まないのに憤った燕山君は、深夜の宮殿に晋城大君を呼び、どちらかに毒の入っている2杯の中から一つを選べと言い、ぶるぶる震えるばかりの晋城大君を前にそのうちの一つを飲み干して笑うのだった。
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<「王と妃」あらすじ簡易版 160~168話>

王妃ユン氏が成宗の顔を傷つけたと知った仁粹大妃は、重臣を招集して廃妃を認めさせる。イム・サホンは辞職していたため、仁粹大妃の前で王妃を擁護する者はおらず、その夜のうちに宮殿を追い出された。復位を求めて連座した儒生や学者は捕らえられ、中心人物となるはずのヒョン・ソッキュは先の弾劾をきっかけに地方へ赴任していた。

三ヵ月後、名門の後ろ盾をもち息子のいないユン淑儀が新しい王妃(貞顕王后)に選ばれた。王妃はユン氏に対して寛大な姿勢をみせ、喜んだ成宗が私家で暮らすユン氏に使いをやる。母シン氏以外との接触を禁じられ慎ましく暮らしていたユン氏は、正装して迎え、喜びのあまり泣き崩れ、王妃が下賜した宝石を殊勝な気持ちから返す。

成宗も大王大妃(貞熹王后)も、世継ぎの生母であるユン氏を離宮に住ませたいと願っていた。だが大妃殿のイム尚宮やチョン貴人らに言い含められたパク内官とチェ尚宮が「ユン氏は反省するどころか王室を呪っていた」と報告。ユン氏の処分を仁粹大妃に強く迫られた成宗は観念し、賜薬を下すと決めた。領議政チョン・チャンソンもハン・ミョンフェも、この恐ろしい事態を傍観したことに震える。

12年後の成宗25年、世子ユンは19歳になった。生母ユン氏のことは緘口令がしかれていたものの、周囲の自分を見る目がおかしいと感じており、王大妃(安順王后)の息子で風流人の斉安大君と親しくしていた。仁粹大妃は王妃の産んだ晋城大君(後の中宗)を寵愛していたため、世子妃シン氏の兄シン・スグンが世子の将来を心配する。イム・サホンは成宗の娘・徽淑翁主の舅となるも朝廷では冷遇され、今はユン氏の母シン氏をかくまっており、世が変わるのをユ・ジャグァンともども待ち望んでいた。

聖君の誉れ高い成宗が38歳で逝去した。仁粹大妃は二日経っても後継者を指名せず、仏教行事である水陸斎を希望して世子を試す。祖母に逆らうなという成宗の遺言を思い出した世子は、臣下の反対を無視して水陸斎を敢行させた。それでも次王を決めない仁粹大妃だったが、世子を変える理由もなく、成宗の遺言どおりに世子を即位させる。崩御の5日後にようやく王となった燕山君は、すぐに生母に関する記録を取り寄せた。
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