「国母を陥れたのは仁粹大妃の庇護を受けたチョン昭容とオム昭容です!
当時の重臣が結託する中でイム・サホン様だけが反対してくれました・・・」。
祖母シン氏に事情を聞いた燕山君が、急いで宮殿に戻り、悲劇の幕が開きます。
ちなみに燕山君はチョン&オム昭容のことを「はじめて聞く名前だ・・・」と反応。
貴人になったと教えられると「じゃあ子供もいるんだな?」と質問してましたが、
何かにつけて挨拶やら集合してそうな王族でもそんなことってあるのでしょうか?
燕山君10年(1504年)3月19日、甲子士禍(カプチャサファ)が起こり、
廃妃ユン氏の賜死にかかわった人々が次々に捕らえられました。
この前はチョン貴人とオム貴人は別に住んでいたようなシーンが出てきたのに
役人がおしかけてきたときにはなぜか一緒の部屋から出てきました・・・。
寝巻き&寝化粧でいつもより格段に薄メイクのチョン貴人のお顔も拝めます♪
燕山君は(やはり初対面の)チョン貴人&オム貴人の頭から布をかぶせると、
チョン貴人の息子である安陽君と鳳安君に「大逆人だからこん棒で殴れ」と命令。
次に大妃(貞顕王后)のことも呼び捨てにしてみずから斬ろうとしますが、
王妃シン氏がすがりついて懇願したためあきらめて去って行きました。
つづいて燕山君は安陽君と鳳安君を引きずって仁粹大妃の部屋に乗り込みました。
30年間私をだましつづけていたのですか!?と生母の血つき服を見せつつ絶叫。
さらし首にすべきだがいやしくも近親なので許してやる!と言われた仁粹大妃が
負けずに言い返しますが孫に膳をなげつけられてショックのあまり気絶します。
そしてまたまた正しい予言をするハン・ミョンフェが脳裏に・・・(しつこすぎ)。
この10日後の4月26日の戌の刻に仁粹大妃は68歳でこの世を去りました。
生涯の説明が流れるときに映った仁粹大妃の老けメイクがヘタすぎて笑えます。
甲子士禍を起こした主役であるイム・サホンとスンジェが表舞台に出る一方で、
燕山君時代の終焉を予感するユ・ジャグァンは身を避けていたそうです。
チョン&オム貴人を「病死」と発表した燕山君は、母の陵名と諡号をつけろと命令。
反対して処分された左賛成ホン・グィダルは燕山時代最高の忠臣とされているとか。
懐陵(フェルン)&斉献(チェホン)王后と名づけても燕山君の暴君ぶりは続き、
重臣ユン・ピルサンやすでに配流されているイ・セジャにも自害を命じました。
存命者への処分がおわると、今は亡き重臣たちにも剖棺斬屍を下しました。
チョン・チャンソン、ハン・チヨン、オ・セギョム、シム・フェ、イ・パ、
キム・スンギョン、そして逝去後17年経っていたハン・ミョンフェもその対象です。
こうして二度死ぬことになったハン・ミョンフェが例の高笑いをしながらご登場。
「だ~から言っただろ?眼前の利益にとらわれて政事をなおざりにした輩は
存命中は偉ぶれても死後は安らかな眠りにつけぬと言ったのに・・・!」。
ありがたいのかどうか私には判断不可能なお説教をカメラ目線で垂れるのでした。
―― 完 ――
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