*韓国ドラマあらすじ部*

韓流時代劇(韓国歴史ドラマ)の最終回までの全話あらすじストーリー(ネタバレ)&感想レビュー&人物相関図など。女人天下、同伊(トンイ)、王女の男、チャンヒビン、馬医、王と私、王の女、正祖イサン、大王世宗(テワンセジョン)、太陽を抱く月、キムマンドク、インス大妃etc

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<「龍の涙」あらすじ 159話(最終回)>

最終回は、大妃(元敬王后)の死から二年後のある初夏の夜から始まります。
研究に励む集賢殿の学者に王妃(昭憲王后)が氷入りのお茶とお菓子を差し入れ。
世宗にもおすそ分けをし、具合の悪い上王・太宗にも届けるという良妻ぶりです。

洪州に流されていた懐安(フェアン)大君イ・バンガンの訃報が宮殿に届きました。
『朝鮮王朝実録』には懐安大君の死に関する詳しい記録はありませんが、
世宗即位時には生きており世宗4年の記録に彼の死に関する記録があるそうです。
兄の死を知った太宗は、王族に喪服を着るように命じ、世宗にこう言いました。
「主上・・・兄弟仲良くしなさい。年をとると頼れるのは兄弟しかいない」。

その兄弟筆頭の譲寧大君は、世宗の配慮で新居に移りいい暮らしをしています♪
でも放浪グセはなくならず、夫人キム氏は側室オリと仲良くやっているようです。
ある日、譲寧大君は外出先で遭遇したズケズケものを言う僧侶にこう助言されます。
「そろそろ空の器を満たしてください。解脱するために自分探しの旅はどうです?」。
ふっと気づくと僧侶の姿はなく、無縫塔(ムホウトウ)があるだけでした。
譲寧大君はこのときの気持ちを詩にしており『燃藜室記述』にも登場するそうです。
「譲寧大君は若い頃から文章がうまかったが忠寧大君のほうが徳があったので
読み書きできない愚か者を装った。だがある僧侶が書物に譲寧大君の詩を引用し、
どんなすぐれた文人でもこれほどのすばらしい詩は書けないと評価した」。
そしてその詩は「山霞で朝食を作り 月は葛に照らされ 夜の燈となる
孤独な岩の下 ひとり夜を過ごせば そこにはただ一層の塔あり」というものとか。

ひどい日照りが続き、民は飢え、世宗も太宗も頭を悩ませていました。
太宗は“欲がなく正直で頭がよい”ファン・ヒのことを思い出して呼び戻させます。
ファン・ヒ(黄喜)の出身は長水(チャンス)で、号はパンチョン。
文科に及第した後、高麗が滅亡すると杜門洞(トゥムンドン)に閑居しましたが、
高麗の旧臣のすすめで朝鮮王朝に出仕し、都承旨パク・ソンミョンが太宗に推薦。
承政院を経て刑曹判書や大司憲を務め、廃世子に反対したことで島流しになるも
世宗4年2月に復帰、後に朝鮮最高の名臣として誰よりも長く領議政の座につきます。
さっそくファン・ヒが「いちばん被害が大きな江原道へ行かせてください」と発言。
葛根を代用して山菜や草で飢えをしのぐように指導してくると言ってます。

病に倒れた左政丞パク・ウンに典医を送り、見舞いに行こうとする世宗。
シム家にとっては一生許せない人物ですのに!と王妃が必死で反対しますが、
「やられたからとやり返したら争いは終わらない、徳を施せ」と言われました。
典医を送られたパク・ウンは、王と王妃の広いお心にマングマングと感謝しまくり。
太宗のほうも、清廉な彼に残酷なことをさせた・・・と後悔をのぞかせています。

ってことで、過去の悪事を詫びるかのように太宗が過酷な雨ごいの儀式をします。
雨が降るまで誰も入れるなと命じられた内禁衛将が祭殿の前でシャットアウト。
「兄弟も姻戚も義弟も義母上も妻さえも・・・皆のことを苦しめて死なせました。
愚かな私は国を救う道だと思ったのです。全ての悪業を私に負わせてください」。
バンウォンのしつこくて暑苦しい雄叫びが天に届いたのか、やがて激しい雷雨が!
命を救う恵みの雨に、祭殿の前で座り込んでいた世宗夫妻や臣下が大喜びします。
病気だというのにかなり力強く叫びまくって雨ごいの儀式を独演した太宗は
最期は譲寧大君に会いたがり「聖君になれ」と世宗に言い残して崩御しました。

「太宗の雨」は野史では有名で『燃藜室記述』にも記されていると紹介されました。
日照りがひどいため私が死んだら必ず雨を降らせてやる・・・という
上王の死に際の言葉どおりに雨が降り、その後も命日になると必ず雨が降ったため、
人々はこの雨を太宗にちなんで「太宗の雨」と呼んだそうです。

太宗イ・バンウォンは太祖イ・ソンゲの五番目の息子で、朝鮮建国に大きく貢献。
臣権主義を掲げたチョン・ドジョンのせいで王位につけなかったため、
血の争いを何度も起こして政権を掌握し、兄の定宗の後に太宗となりました。
在位期間は18年。長男の譲寧大君を世子の座からおろすと忠寧大君を王位につかせ、
その後の4年間は上王として王室安定に尽力し、世宗4年5月10日に56歳で崩御。
治世の大半を不安定な王室の基盤固めに費やし多くの犠牲者を出しましたが、
その功績は多く、議政府署事制から六曹直啓制に変えて統治基盤を固め、
中央集権体制を確立し、軍権を強化して対馬を征伐するなどしました。
こうした徹底した行動がなければおそらく世宗は朝鮮王朝一の聖君にはなれず、
太宗も世宗に劣らずすぐれた功績を残したといえるそうです。

―― 完 ――

※気づきや雑談はこちらのカテゴリ別ブログでアップしていきたいと思います。
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<「龍の涙」あらすじ 158話>

大妃(元敬王后)の病はすべて自分のせいだ・・・と涙目で語る上王・太宗に、
そう思っていらっしゃったとは知りませんでしたと世宗が驚いて打ち明けます。
「なぜ母上に冷たくされたのです?」「すべては私が王座についたせいだ・・・」
君主の座は栄光ではなく苦悩に満ちていることを太宗が世宗に教えました。
王妃(昭憲王后)は太宗への誤解をとき、実家のことも心にふんぎりをつけます。

対馬に上陸した朝鮮軍は、海岸の敵兵を圧倒し、内陸へ入り、海から戻った敵も倒し、
対馬の倭寇を全滅させ、島主・宗貞盛(韓国語で家来に命令してます)の要塞も陥落。
撃破した敵船は129隻、全焼した家屋は1939棟、取った敵将の首100人余りとか。
(「大王世宗」でも思いましたがなんかこの戦になると音楽も様変わりしますね)
厳しくもやさしさにあふれる王命文を読まれた宗貞盛がうなだれて従います。
6月20日に上陸し、数百年に渡る倭寇の拠点をわずか9日間で掃討したこの討伐は、
一般には世宗時代の功績とされていますが実は太宗の勝利だそうです。
(wikiの対馬討伐の記載とニュアンスが違うのですが、上記はドラマの筋です)

長らく登場しませんでしたが、老上王・定宗が離宮で寝込んでいたようです。
太宗に無理やり王座につかされた彼は政務より撃毬に興じるなどして生き残り、
引退後も悠々自適に過ごし、世宗1年(1419年)9月26日に63歳で崩御しました。
そして数ヶ月後の世宗2年5月、12回にわたって場所を変えて療養していた大妃が、
最後の療養先となる元府尹(プユン)イ・メンギュの屋敷に移りました。
死ぬ前に私の実家がどうなったのか知りたい・・・と弱々しく願う大妃に、
太宗がミン兄弟を手厚く弔わせ大妃の甥が祭祀をしているとキム尚宮が教えます。

国境に築いた城塞のおかげで女真族の侵入は減り、集賢殿も成果を出しはじめ、
公役を減らしたせいで民が農業に専念できるようになるなど、治世は安定。
しかし中風で腫れ物も進行している太宗の心は、虚しさでいっぱいでした。
(今回は診察シーンで太宗サマのむっちりとした上半身が拝めますよ♪)
そなたも私もあくせく生きてきたな・・・と回顧しながら大妃に心の中で話しかけ、
ああするしか仕方なかった・・・と側室とのアッハ~ンをちょい言い訳してます。

自分の不孝で母が病気になったと思っている譲寧大君はお見舞いに行っておらず、
やってきた孝寧大君が「見舞いに行きましょう!」と珍しく強い語調で誘います。
すると譲寧大君は、療養先を移すたびに遠くから見に行ったと涙ながらに告白。
カンドーした孝寧大君が、兄上も仏弟子になりませんか?と誘っていますが、
譲寧大君(両脇に夫人キム氏と側室オリをはべらせ中)はさすがに断りました。

こうして譲寧と孝寧につづき、太宗、そして世宗も大妃の見舞いに訪れました。
・・・許しを請いたいと随分前から思っていたのだ・・・と静かに詫びた太宗は、
王になった瞬間から私は人であることを捨てたのだと王座の孤独さを語りました。
「そうでしょうね・・・でも辛すぎました。何度も上王様の死を願いましたが、
やはり私の夫でした。恨んでいましたがいつからかむしろ哀れに思えて来ました」。
実は私も具合が悪くてもうすぐそなたの後を追いそうだ・・・と太宗が病状を話すと、
「許して差し上げます、チョナ・・・哀れなひと・・・」と大妃が目を閉じました。
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<「龍の涙」あらすじ 157話>

世宗が集賢殿の体制を整えさせる一方で、倭寇の報告を受けた太宗が大憤慨。
都万戸(トマノ)のキム・ソンギルを処刑させ、海州に兵を送れと命じます。
するとイ・ジョンムが「この際ですから倭寇の本拠地である対馬を征伐しては?」。
そういや対馬は慶尚道の鶏林だった!と乗り気になった太宗が出陣を決めました。
高麗時代末期の遼東征伐以来となる大規模な出陣とあり、国中が大わらわ。
甲士から学者や芸人まで総動員して兵1万7285名と軍艦227隻が揃えられます。
三軍都体察使イ・ジョンム、中軍節制使ウ・バク、イ・スンミョ、ファン・イ、
そして左軍節制使にはユ・スプ、パク・チョ、パク・シルが任じられ、
右軍節制使にはイ・ジシル、キム・ウルチ、イ・スンモンが配されました。
父チェ・ムソンの技術を受け継いだ火薬担当のチェ・ヘサンも張り切っています。

倭寇の略奪行為は高麗時代の高宗10年の記録に初めて登場するそうで、
その後平和な時期もありましたが、14世紀の忠定王2年の頃から毎年繰り返され、
高麗が滅亡するまで40年間も続き、この対馬征伐のときまで138回に及んだとか。
国内の問題を片付けた太宗が国外に目を向けたのは当然といえるそうですが、
大妃(元敬王后)いわく「戦争ですって?姻戚を殺すよりはずっといいわね!」。

ボロ服ファッションに身を包んだ譲寧大君が、ならず者仲間と楽しくご旅行中。
まだ行方がわからないのか?と怒った太宗が広州の牧使チェ・ゲウォンを罷免し、
譲寧大君を多額の懸賞金つきで全国に手配しました。(似顔絵がこれまた微妙ー)
貼紙を見てもなんのその~な譲寧大君は、食料を調達するためにどっかの宴に乱入。
主催者の両班が肉を投げつけて内侍ノ・ブンが怒ったことで正体がばれます。

こうして譲寧大君が宮殿に連れ戻され、上王殿に譲寧・孝寧・忠寧(世宗)が集合。
なんだその格好は?まるで物ごいではないか!とあきれ返るばかりの太宗に、
彼らにも義理や人情があるのです♪と譲寧大君がニッコニコしながら答えると、
そのとおりです・・・みな同じ人間です・・・と孝寧大君が悟りきった表情で同意。
一人は物ごい!一人は寺巡りばかり!気楽なもんだな!と太宗が嘆きまくります。
そこへかけつけてきた大妃が、長男のボロ着姿ににショックを受けて倒れました。
いつのまにか弱りきった大妃を目の当たりにした太宗はさすがに心をいため、
ミン兄弟のなきがらの行方や彼らの子供たちの暮らしぶりを調べさせるのでした。

1419年、イ・ジョンム率いる兵を見送り、太宗が世宗に国の未来を語るある日。
大妃の容態が急変し、侍医のすすめにしたがい転地療養することになりました。
この侍医は「心の病なのでどうしようもないです」という診断ばかりでラクですね♪
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