*韓国ドラマあらすじ部*

韓流時代劇(韓国歴史ドラマ)の最終回までの全話あらすじストーリー(ネタバレ)&感想レビュー&人物相関図など。女人天下、同伊(トンイ)、王女の男、チャンヒビン、馬医、王と私、王の女、正祖イサン、大王世宗(テワンセジョン)、太陽を抱く月、キムマンドク、インス大妃etc

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<「太宗大王-朝鮮王朝の礎-」あらすじ 27話(最終回)>

健元陵(コノンヌン)が登場し、太上王・太祖が崩御していることがわかります。
東北で生まれた太祖イ・ソンゲは、父イ・ジャチュンを継いで万戸(マノ)になり、
パク・ウィの反乱や紅巾族をおさめ、チェ・ヨンとならぶ将軍になりました。
有名な威化島(イファド)回軍の後、田制を改革して朝鮮王朝を建国して即位。
王座に7年、上王と太上王として8年過ごし、太宗8年5月24日に74歳で崩御しました。

王妃(元敬王后)の父ミン・ジェも老衰気味。娘に太宗との和解をすすめます。
すでにミン兄弟が亡くなっている設定らしく、「龍の涙」と時系列が違いますね。
不仲を極める太宗と王妃の仲をとりもっていたのは、四男の誠寧大君。
便殿と中宮殿を行き来して意思の疎通をはかる末っ子を、夫妻は寵愛したそうです。
その誠寧大君が高熱を出し、太宗がつきっきりで看病するも、14歳で逝去しました。

イ・スッポンは太宗の寵愛を笠に着て、勝手に民を痛めつけるなど好き放題続行中。
「誠寧大君が病気だから慎みなさい」と役人に言われても聞き入れません。

ふくよかめでどう見てもおっさんな世子(譲寧大君)がご登場!
太宗のよりも立派でゴツーい金ぴかのお帽子をかぶっていらっしゃいますよ。
その世子の放蕩はいまだ続いており、官吏の妾を連れ去って問題になりました。
王妃が目をかけなかったからだ・・・と大妃(定安王后)が何気に責めてます。
そしてなんと世子の遊び仲間がセウンという設定ですよ。そうきましたかー。
世子のふるまいに怒った太宗は、世子から降格させて広州へ追放しました。
弟の忠寧大君(後の世宗)を演じているのは、「女人天下」タンチュ僧侶のお方!
けっこう男前ですがとても若者には見えません・・・。

ソンとコクセ夫妻から息子セウンの救命を頼まれた亀山寺のソッポ大師は、
現王朝と太宗の嫡子に継がせたいという願いをくじいたのだから
ソンの願いがある意味かなったのでは・・・とかなりの屁理屈で丸め込みます。
その後ソンが雉岳(チアク)山のウンゴク先生に会いに行こうとしていると、
譲寧大君が亀山寺へやってきてセウンが命を落としたことを詫びました。

将来を見据えた太宗が、イ・スッポン(かなり反抗してました)を島流しに。
イ・スッポンは世宗末年まで流刑地に置かれ、家族と再会できなかったそうです。
太宗はこれまでの悪行を悔い、1418年8月8日に世子(忠寧大君)に譲位を決行。
ゴージャスな世子帽を脱がせて君主の地味帽をかぶせると、名言を与えました。
「わが国の悪行はすべて私が背負う。聖君となりその名をを万世に残しなさい」。
こうして上王になった51歳の太宗によるワッハッハとめでたそうな笑顔で終了です。

―― 完 ――

※気づきや雑談はこちらのカテゴリ別ブログでアップしていきたいと思います。
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<「太宗大王-朝鮮王朝の礎-」あらすじ 26話>

太上王・太祖はパク・スンがもう龍興江を渡っているとばかり思っていたのに、
腹痛を起こして旅籠で休んでいたため、安辺府使チョ・サイに追いつかれます。
川を渡る舟に馬を乗せようと手こずっているところで矢に射られました。
その後「チョ・サイの乱」のことがちょこっとだけナレーションで語られます。

殺されるとわかっている使臣を派遣するわけにはいきません!と王妃(元敬王后)。
しかし上王・定宗夫妻は次の使臣として国師ムハク大師を推薦しました。
こうしてムハク大師の説得に応じた太祖が宮殿に戻るという朗報が届くも、
用心深いハ・リュンは大木で日よけの柱を造らせて太祖を出迎えました。
恐れたとおり、太祖は太宗に矢を放ち、太宗はその柱に隠れて事なきを得ます。
続いて酒宴に出席した太祖は、隠していた鉄槌をがっちゃーん!とぶちまけると、
神の意思によるものだ・・・と涙を流しながら息子の即位を認めて和解しました。

太宗は漢陽に昌徳宮を建立してもう一度遷都したいと考えていました。
定宗夫妻が再遷都に反対していますが、太祖は太宗の意向を尊重。
10月20日、太宗たちは3日もかかる大行列で新都。漢陽に居所を移しました。
壮大な景福宮に対して、昌徳宮は繊細な宮殿と評されているそうです。
その後、勉強をさぼる世子(譲寧大君)に王妃が悩んでいるシーンが出てきます。
ちなみにソンの息子セウンは12歳になり、ちょいメタビーな体型に成長。
この子は聡明だから都で学問を学ばせたい・・・とソッポ大師に話すソンでした。

太宗は政治に行き詰まると頻繁に狩に出かけ、臣下が上書でとがめても無視。
そのうち世子に譲位するんじゃ?と人々がささやく中、ついに譲位を宣言しました。
ここで王妃の弟であるミン兄弟(ミン・ムグ&ムジル)の事件が起こります。
譲位は正当だと言った罪で、ミン兄弟とシン・グンネが捕らえられたのです。
義弟たちを重罰にはできない!と言う太宗に、臣下と義父ミン・ジェが厳罰を要求。
太宗13年(1413年)7月12日、王妃が実家に出向いて弟に無事を約束していると、
そこへ王命を受けた役人が踏み込んできて捕らえられ、流刑されました。
(ミン・ムグ(驪江君)は延安、ムジル(驪城君)は長端、シン・グンネは原州)
王妃がミン家の功を訴えても太宗は聞き入れず、これを機に二人は十数年対立します。
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<「太宗大王-朝鮮王朝の礎-」あらすじ 25話>

妓生だったチルチョムソンは、高麗ウ王の側室・寧善(ヨンソン)翁主となり、
バンウォンの庇護を受けて宮殿に残った後、王妃(元敬王后)に追い出されました。
尽力してくれた寧善翁主を側室にするつもりだった太宗(バンウォン)は王妃と喧嘩。
3月19日の『朝鮮王朝実録』には(このときのことかどうかはわかりませんが)、
太宗が王妃の嫉妬で経筵(キョンヨン)庁で10日過ごしたと書かれているそうです。
イ・スッポンとチョン・フン(パウ)を呼び、殿下に会わせて!と頼む寧善翁主。
ところが寧善翁主の家は王妃に見張られており、二人は王妃に叱り付けられました。

出世したイ・スッポンの屋敷には、官職をねだる人々が賄賂を手にぞくぞくと訪問。
夫人チョン氏が超エラそうに応対して賄賂を追加させ、使用人たちを怒鳴り飛ばし、
屋敷の前をうるさい馬車が通らないようにしましょ!と夫婦そろって好き放題です。
(いまだイ・スッポン宅で働かされているソンの乳母いわく「似たもの夫婦」)
これにムカついた民が申聞鼓でチクるも、太宗はワッハッハと笑って見過ごしました。

太宗の即位に同意できない太上王・太祖が、故郷である東北面に旅立ちました。
将軍時代から苦楽を共にしてきたシム・ドップ(青城伯)が別れを惜しみます。
シム・ドップは太祖の次女・慶善翁主の義父で、孫は世宗妃(昭憲王后)。
東北面へ帰郷する太祖を見送ったその数日後にこの世を去ったそうです。

父を呼び戻したい太宗が使いを派遣するも、太祖に矢を射られて戻ってきません。
これが、ことわざ「咸興差使(ハムンチャサ)」を生んだ有名なエピソードです。
そんな中、みずから咸興差使に志願したのが、太祖の旧友であるパク・スン。
護衛をつけず、馬の親子を連れて太祖に会いに行き、親子愛をアピールしました。
数日滞在を許されると、碁(将棋?)をさしながら親子鼠の仲をしつこく話します。
こうしてやっと帰京を承諾した太祖に、安辺府使チョ・サイ(神徳王后親戚)が抗議。
パク・スンが龍興江を渡っていなければ殺めてもよいと太祖が許しを出しました。
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