健元陵(コノンヌン)が登場し、太上王・太祖が崩御していることがわかります。
東北で生まれた太祖イ・ソンゲは、父イ・ジャチュンを継いで万戸(マノ)になり、
パク・ウィの反乱や紅巾族をおさめ、チェ・ヨンとならぶ将軍になりました。
有名な威化島(イファド)回軍の後、田制を改革して朝鮮王朝を建国して即位。
王座に7年、上王と太上王として8年過ごし、太宗8年5月24日に74歳で崩御しました。
王妃(元敬王后)の父ミン・ジェも老衰気味。娘に太宗との和解をすすめます。
すでにミン兄弟が亡くなっている設定らしく、「龍の涙」と時系列が違いますね。
不仲を極める太宗と王妃の仲をとりもっていたのは、四男の誠寧大君。
便殿と中宮殿を行き来して意思の疎通をはかる末っ子を、夫妻は寵愛したそうです。
その誠寧大君が高熱を出し、太宗がつきっきりで看病するも、14歳で逝去しました。
イ・スッポンは太宗の寵愛を笠に着て、勝手に民を痛めつけるなど好き放題続行中。
「誠寧大君が病気だから慎みなさい」と役人に言われても聞き入れません。
ふくよかめでどう見てもおっさんな世子(譲寧大君)がご登場!
太宗のよりも立派でゴツーい金ぴかのお帽子をかぶっていらっしゃいますよ。
その世子の放蕩はいまだ続いており、官吏の妾を連れ去って問題になりました。
王妃が目をかけなかったからだ・・・と大妃(定安王后)が何気に責めてます。
そしてなんと世子の遊び仲間がセウンという設定ですよ。そうきましたかー。
世子のふるまいに怒った太宗は、世子から降格させて広州へ追放しました。
弟の忠寧大君(後の世宗)を演じているのは、「女人天下」タンチュ僧侶のお方!
けっこう男前ですがとても若者には見えません・・・。
ソンとコクセ夫妻から息子セウンの救命を頼まれた亀山寺のソッポ大師は、
現王朝と太宗の嫡子に継がせたいという願いをくじいたのだから
ソンの願いがある意味かなったのでは・・・とかなりの屁理屈で丸め込みます。
その後ソンが雉岳(チアク)山のウンゴク先生に会いに行こうとしていると、
譲寧大君が亀山寺へやってきてセウンが命を落としたことを詫びました。
将来を見据えた太宗が、イ・スッポン(かなり反抗してました)を島流しに。
イ・スッポンは世宗末年まで流刑地に置かれ、家族と再会できなかったそうです。
太宗はこれまでの悪行を悔い、1418年8月8日に世子(忠寧大君)に譲位を決行。
ゴージャスな世子帽を脱がせて君主の地味帽をかぶせると、名言を与えました。
「わが国の悪行はすべて私が背負う。聖君となりその名をを万世に残しなさい」。
こうして上王になった51歳の太宗によるワッハッハとめでたそうな笑顔で終了です。
―― 完 ――
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