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韓流時代劇(韓国歴史ドラマ)の最終回までの全話あらすじストーリー(ネタバレ)&感想レビュー&人物相関図など。女人天下、同伊(トンイ)、王女の男、チャンヒビン、馬医、王と私、王の女、正祖イサン、大王世宗(テワンセジョン)、太陽を抱く月、キムマンドク、インス大妃etc

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<「正祖大王 -偉大なる王の肖像-」あらすじ 28話(最終回)>

よく戻れたな!と冷たいヤンに、信者になってください!と願うKYなユン・ボベ。
神父のもとに帰るか首を切れ!と家系図を突き返してヤンが追い出そうとすると、
信者は自決できないのであなたの手で殉教させてください・・・と泣きます。

大王大妃(貞純王后)が従兄弟キム・グァンジュと府院君(予定)キム・ジョスンに
五家統治(オガトンチ)=五家作統法(オガジャクトンポペ)の施行を命じました。
これは成宗16年に領議政ハン・ミョンフェの上奏でできた、5世帯1組の監視制度。
もちろん天主教を効率的かつ徹底的に取り締まるのが大王大妃の目的でした。
こうして純祖元年(1801年)辛酉(しんゆう)年の辛酉大迫害で捕らわれたのが
クォン・チョルシン(鹿庵)、イ・ガファン(錦帯)、イ・ スンフン(蔓川)たち。
チョン・ヤクチョンは、殉教の様子を記録して北京へ送れとファン・サヨンに命じ、
オ・デインには書物を持ち出せと指示して自分と仲間に起こる悲劇に備えます。
亡き息子イ・ビョクが天主学に関わっていたため辞職を願い出たイ・ブマンは、
辞職は許さないわ!あーたが審問するのよ!と大王大妃に命じられて可哀想です。

2月21日、67歳のクォン・チョルシンが厳しい取り調べに耐えかねて逝去します。
イ・イクの弟子で、南人派でもっとも年配の指導者だったクォン・チョルシンは、
天真庵で講学会を主導した人物でもあり、天主学の柱ともいえる存在でした。
5日後、チョン・ヤクチョン、イ・スンフン、チェ・ピルゴン、チェ・チャンヒョンら
指導者6人が西小門の近くで処分され、次はついに女性が標的に!?という流れに。
両班の女性まで捕えるというのは前代未聞だそうで、大臣たちもちょっとびっくり。
先王の築いたものが台無しにされ、恵慶宮も大妃(孝懿王后)も落ち込みます。
「幼い殿下のためにあえてやってるのよ!」と大王大妃は抗議を聞き入れません。

ってことで、恩彦君と夫人ソン氏と嫁シン氏に、見せしめとして賜薬が下されます。
カン・ワンスクは焼き鏝じゅーじゅーされても神父の居場所を吐きませんが、
逃げる途中だったチュ・ムンモ神父になぜか彼女の叫び声が届き、自分から出頭。。
3月14日に大王大妃(と横に座ってるだけの幼い純祖)がみずから審問しました。
4月19日、チュ・ムンモ神父に刀が振り下ろされた瞬間には、嵐が起こったとか。
51歳で没した神父の最期は『ファン・サヨン帛書(ペクソ)』に記されています。

カン・ワンスクと姑、ユン・ボベ、ムン・ヨンインたちは、5月23日に一斉に殉教。
士大夫の女をこのように処分したのは、朝鮮王朝史上はじめてのことだそうです。
ソナを置いて、息子ファソンと一緒に旅立ったヤンは、流浪の身となるのでした。

―― 完 ――

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<「正祖大王 -偉大なる王の肖像-」あらすじ 27話>

部屋から逃げた妻ユン・ボベを追ってヤンが恩彦君の屋敷の周りを探しています。
どう見てもすぐそこの小屋に潜んでいると思うのですが、なぜか会えません。
「二人は元通りにはなれない、血を流すだろう」とポンニョン僧侶が話します。

反・天主学派のシム・ファンジが左議政に、イ・シスが右議政に昇進しましたが、
世子(後の純祖)の婚姻が控えているため、大っぴらな締め付けはできません。
そんな折、ムン・ヨンインがチュ・ムンモ神父に北京への帰国をすすめました。
正祖の具合が悪く(骨髄炎で全身に膿)、崩御されたら弾圧されるからです。
そんな折、宮殿を出た宮女ムン・ヨンインがチュ・ムンモ神父に会いに行きまし

正祖24年4月9日、集福軒(チッポコン)で大妃(貞純王后)が世子嬪候補を選考。
最終に残ったのは、キム・ジョスンの娘、パク・ジョンマンの娘、シン・ジプの娘で、
中でも大妃が正祖に大プッシュしているのはキム・ジョスンの娘でした。
「私は慶州(キョンジュ)キム氏出身で、王妃は清風(チョンプン)キム氏出身。
キム・ジョスンは安東(アンドン)キム氏だから家門もかぶらないわよ~」と力説。
彼は派閥に属してないから大丈夫だろう・・・と正祖も快く認めてくれます。
これが、安東キム氏がこの後60年にわたって絶大な権力を握る瞬間でした。
このときキム・ジョスンは世子侍講院の兼輔徳と行護軍の役職におり、
官位は低いながらも人柄とすぐれた学問で正祖の側近についていたそうです。
老論(ノロン)の中の時派(シパ)と僻派(ピョッパ)からも認められている存在で、
老論の長であるキム・チャンチプの子孫という名門の家柄出身でした。

天主教一味の名簿にボベの名を書け!というヤンの命令をカン武将が拒んでいると、
入宮命令が届き、迎春軒(ヨンチュンホン)に移されていた正祖があっさり崩御。
文民政治を築き、実学を重んじ、文芸復興の扉を開いたと評価されている正祖は、
儒学を奨励すれば邪学は消えると考えていたため、迫害はしませんでした。
正祖24年(1800年)6月28日、世子嬪選びの最中での、49歳の死でした。

11歳の純祖が即位すると、大王大妃となった貞純王后@56歳が垂簾政治を始めます。
早速シム・ファンジを領議政に、イ・シスを左議政に、ソ・ヨンボを右議政に据え、
イ・ソグを刑曹判書に、キム・ジョスンを左副承旨に任じると、天主教弾劾を命令。
兄を追放したにっくき故ホン・グギョンを官爵から抹消し、兄を吏曹判書に追尊し、
いとこのキム・グァンジュのことは同副承旨にしちゃいました。やり放題ですね!
天主教の信者たちは、神父を守るために一旦解散を決定。ユン・ボベが帰宅します。
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<「正祖大王 -偉大なる王の肖像-」あらすじ 26話>

ヤンが宮女ムン・ヨンインを宮殿に連れて行き、信者では?とクォン尚宮に質問。
軍官の家にも信者がいますよね!?とクォン尚宮に牽制されてギョッとします。
ユン・ボベはポンニョン僧侶に叱られても悲劇のヒロインのような主張をし
(ヤンの過去の罪やら色々言ってましたがもうこのあたりは省略ってことで)
結局はチュ・ムンモ神父やカン・ワンスクと地方へ布教に出かけていたからです。
天主教の勢いは衰えを知らず、この頃の信者は1万人にのぼっていたそうです。

正祖に審問されたチェ・ピルゴンは、天地を創造したのは天主様です!と返答。
以前はまだ殉教する時期ではなかったから背教したまでですとも答えました。
ムッキー!と憤る僻派の面々を正祖は諌め、「そなたを放免する」と宣言。
「万事は正しくおさまるはずだから、その真理が正しいかを見守りたい」そうです。

天主教と南人派が大っキライな大妃(貞純王后)がシム・ファンジらを叱りつけ、
天主教の中心人物クォン・チョルシンらを弾劾する上書を大司諫が提出すると、
けしからん!自分の利益のために特定の学問を迫害するな!と正祖が激怒。
それを聞いた神父と信者は、天が聖君を遣わしてくださったのだ!と大感激です。
そろそろ都で布教を!と話していると、アジトに軍官がやってきてトンズラしました。

天主の教えが忘れられません・・・と右承旨チョン・ヤギョンが辞職を願いました。
判中枢府事に降格したチェ・ジェゴンに続き、信頼する者をまた手放した正祖は落胆。
そして、朝鮮でもっともすぐれた宰相といわれるチェ・ジェゴン(樊巌/ボナム)は、
左議政から判中枢府事になった8ヵ月後に80歳でこの世を去ったそうです。
南人派の中心人物で、領議政も務め、天主学にも寛容だったチェ・ジェゴンは、
思悼世子(サドセジャ)が死んだとき父の喪中だったにも関わらず宮殿に駆けつけ、
そんな彼を英祖は賞賛し「樊巌はお前の宰相だ」と幼い正祖に話したとか。
王妃(孝懿王后)の前で落ち込みを正祖でしたが、世子の冊封に踏み切ります。

ユン・ボベが軍官である自分の名を使って逃げていると知ったヤンは、
恩彦君の屋敷へ乗り込み、ロザリオを夫人ソン氏に見せてやっとこさ中に入ります。
ところが、さっきまで神父やユン・ボベがいたはずの部屋はもぬけの殻でした・・・。
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