都元帥チャン・マンと副元帥イ・グァルが咸鏡道に派遣されることになりました。
キム・ユのせいで辺境にトバされた!とイ・グァルは恨みを募らせています。
国境に兵を配置するという朝鮮の姿勢に、後金の皇帝ヌルハチたちはご立腹。
穴を掘って逃げようとした廃世子が捕まり、絶食していた世子嬪が命を絶ち、
廃世子も自決を命じられたというしらせに大妃(仁穆王后)が心を痛めています。
いい気味!とは思わないらしく、主上は人を殺めないでくれと仁祖に話しました。
仁祖反正の靖社功臣の一等はキム・ユ、イ・ギ(イ・グィ)、キム・ジャジョム、
イ・ソ、シン・ギョンジン、イ・フンリプ、チェ・ミョンギルら10人に決定。
二等功臣はキム・ギョンジン、イ・シバン、チャン・ユ、ウォン・ドゥピョ、
イ・グァルら15人。三等功臣はホン・ソボン、パク・ユミョンら27人でした。
「龍の涙」を見た方ならご存じの通り、功臣発表には不満と謀反がつきもの♪
「二等?名前が最後?キム・ユの息子ギョンジンとイ・ギの息子シベクより後?」
と怒ったイ・グァルがハン・ミョンリョンたちと謀反の計画を立てますが、露呈。
(イ・ユリムという人が白状し、ムン・ヒとイ・ユが告発したそうです)
でも仁祖は「一国の将軍でしかも功臣を処分できない!」とイ・グァルをかばい、
仁聖君を擁立しようとしたイ・ジョンとハン・ミョンリョンのみを罪に問います。
こうして10月17日、シム・デリムとコ・ドクチャンとキム・ジェスが派遣され、
イ・ジョンとハン・ミョンリョンを捕えるため21日に寧辺に到着しました。
イ・グァルが兵を1万2千人も集めていたそうです。何か他にも経緯がありそうな?
イ・グァルからの協力を請う手紙を中軍ナム・ヨンが都元帥チャン・マンに提出。
チャン・マンのもとにチョン・ウプソクとチョン・チュンシンが駆けつけるも、
イ・グァルはチャン・マンとの戦を望まず、抜け道を通って開城(ケソン)へ。
しかも興安(フンアン)君(宣祖10男)を新王に擁立して盛り上がってます!!
避難してください!という臣下の訴えを退けて悩んでいた仁祖も、結局は避難。
この後も仁祖は二度も宮殿を離れて避難することになります(→「傀儡王仁祖」)。
キルマ峠での決戦を制したのは、都元帥チャン・マンが率いる官軍でした。
風が突然西北風に変わってイ・グァルが敗北したという伝説が残っているとか。
トッポ僧侶とダチのイム・ギョンオプ兄弟はこの戦いで頭角を現したそうです。
イ・グァルとハン・ミョンリョンは水口門(スグムン)を抜けて南へ逃げたのに
功名心に負けた部下によって利川(イチョン)で襲われて最期を迎えました。
(イ・グァル息子のイ・ジョンがどうなったのかの説明はありませんでした)
二人の首は仁祖の避難先の公州に届けられ、仁祖はその4日後の19日に都へ帰還。
こうして「イ・グァルの乱」が終焉し、名実ともに仁祖の時代が始まるのでした。
―― 完 ――
※「暴君 光海君(原題:回天門)」登場人物の整理やつぶやきなどがあれば
今後
こちらで記事にしていきます。
※このすぐ後の出来事を引き続き同じキャストが登場して描いたドラマが
「傀儡王 仁祖(原題:南漢山城)」です。
あらすじはこちらにあります。