第23話 世子の死
病床のウィギョン世子トウォン君を「孫は私が守ってやる!」と世祖が励ますと、
その言葉に激しく反応していた王妃(貞熹王后)は部屋に戻るとぷりぷりお怒り。
世子妃ジョンの全言動が気に障り、世孫の月山(ウォルサン)君にも厳しく接し、
世子に王位を継がせるなと言い、功臣も内侍たちも海陽(ヘヤン)君を推します。
でもジョンの強力な後ろ盾だった父ハン・ファクはもうこの世にいないのでした。
夢に現れたノサン君(端宗)に誘われるように、世子トウォン君が景福宮で逝去。
端整にして優雅な顔立ちで性格は礼儀正しく温厚だったと伝えられる世子は、
学問と書道を好み、二男一女をもうけ、このとき長男ウォルサン君は4歳でした。
世子の座を空けるな!ヘヤン君にしろ!と譲寧(ヤンニョン)大君が力説。
実の息子なのになぜ決めないのですか?嫁に気兼ね?と王妃も世祖を責めます。
決心したらしい世祖は、将来の端宗復位の動きを防ぐためについに抹殺を命令。
ノサン君の舅ソン・ヒョンスが首をつり、クムソン大君には賜薬が下されました。
配流地のノサン君(端宗)は龍袍(ヨンポ)を着て禁府都事から王命を聞きます。
最後に父上に挨拶させてくれと頼み、泣き崩れたところで後ろから首をギューッ!
川に捨てられたノサン君は同じところをぐるぐる回って元の岸辺にたどり着き、
そのとき玉のような10本の細い指が水面に浮いていたと野史で伝わっています。
宮殿で暮らせと言ってくれる世祖に、「位牌が宗廟に祀られないので」とジョン。
(今回からジョンの呼び名が「粋嬪/粹嬪(スビン)」になりましたね)
世祖はハン・ミョンフェに「嫁に恩を受けたから守ってやってくれ」と頼みます。
宮殿を出て私家で暮らすことになるジョンに、どの尚宮も仕えたがりません。
そこでチェ尚宮が志願。おてつきされる気マンマンのソンイにはこう説明します。
「今の王様は壮年だから承恩を受けても意味はないし、ヘヤン君はまだ8歳よ。
今は承恩を受けないように遠ざかり、世子様が王になったときに戻りましょう」。
世祖3年12月、ウィギョン世子の弟ヘヤン君イ・ファンが世子に冊封されます。
世子が交代したことをしらせるため明に派遣されたのはハン・ミョンフェでした。
「世子様が12歳で読んだ『孝経』を者山(チャサン)君は4歳で読みました♪」。
私家で暮らすジョンが、トウォン君の位牌に日々の出来事を報告しています。
端宗の死後、世祖は内政充実に尽力し、檀君の位牌を朝鮮始祖檀君神位と改め、
圜丘壇(ウォングダン)を建設して天を祀る祭祀を行い、戸籍制度を整えたほか、
『国朝宝鑑』を編むと同時に『経国大典』の編纂にも着手していました。
しかしその身体は病魔に巣食われ、譲位を言い出して朝廷を騒がせています。
ジョンとソンイが大人女優さんにチェンジし、宮殿に呼ばれるところで終了です!
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