端宗の妃選びが首陽大君の主導で進められ、先王の喪中であるという左議政チョン・インジらの反論や喪服論争も抑えられた。名家は年頃の娘を揀擇に参加させたがらず、候補者探しにユン氏が奔走した末、貧しいが学識のあるソン・ヒョンスの娘を気に入る。宮中の権力を掌握したい恵嬪ヤン氏と錦城大君は対抗馬を揀擇に参加させるが、多くの賛成票を得られず、淑嬪ホン氏も強硬に反対する。こうしてソン・ヒョンスの娘(定順王后)とともに二人の側室が端宗に嫁ぐことになった。自身が推した娘が落選して憤る錦城大君を首陽大君がなだめ、「婚礼後に領議政を辞す」と話す。
懐妊したことを隠し、宮殿で出産したいと姉の桂陽君夫人に話していたハン氏が、ついに桃源君やユン氏に打ち明け、姉の家で療養することを願い出る。ハン氏は、ハン・ミョンフェに側室ヒャンイを、ホン・ユンソンにも侍女キルリョをあてがい、桂陽君の屋敷やハン・ミョンフェの別宅を拠点に義父の配下と密接につながりつつあった。
ハン・ミョンフェを昇進させず、粛清の功臣たちをしばらく冷遇していたかに見えた首陽大君だったが、ある夜訪ねてきたハン・ミョンフェに「農夫が大木で雨宿りをして礼を言い、冬になると大木を薪にして燃やした」という故事を話した後、「(職務である)王の馬の世話を続けろ」と言う。兵曹参判ホン・ダルソンには、兵曹の改革を相談した。ハン・ミョンフェやハン氏は首陽大君が王位について暗示したと解釈する。
王妃は恵嬪ヤン氏と淑嬪ホン氏が宮殿で暮らすのを許し、意欲l的に内命婦を束ねていた。臣下には朝会と經筵を開かせ、端宗には書物を読ませて君主としての成長を促し、首陽大君にも率直に意見をした。首陽大君はそんな王妃を寛容に容認しつつも、その一方では譲寧大君に恵嬪ヤン氏らを追放する根回しを頼んでいた。
ある日、吏曹判書チョン・チャンソンが恵嬪ヤン氏の追放を求めて座り込む。内命婦の問題であるとして首陽大君は取り合わず、王妃も請願を退ける。すると永豊君と結託している錦城大君が首陽大君の辞職を要求。首陽大君は自宅謹慎を決め込んだ。これを端宗の親政へのはずみにしたがる王妃を、父ソン・ヒョンスが危ぶむのだった。
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