あらすじを終えたところで、気になることを思い出したので復習しまーす。
「王と私」の第1話には“三能三無”という言葉が出てきます。
内子院長で占い師だったソグィがチョソンの四柱を占った結果でした。
“三能三無”とは、以下のことを指しています。
(1)優秀な将となれる相だが男として不能
(2)良妻賢母と子孫に恵まれるが血縁を残せない
(3)忠臣となる相だが朝廷に出仕できない
これについて、確認していきたいと思います。
(1)優秀な将となれる相だが男として不能
内侍府長にまで昇進したし、これは当たってますよね
(2)良妻賢母と子孫に恵まれるが血縁を残せない
これがナゾなんですよねえ。
結婚もしなかったし、養子もとらなかったし、うーん。
話数変更やら視聴者の反応をみてのストーリー作りやらで
きちんと台本に落とし込めなかったのかしら?と思っています。
思えば、終盤で再登場するソグィからの手紙も
ストーリーに効果的に影響しているとは思えませんでしたし。
でも何か他の解釈があるのならぜひ知りたいです!
(3)忠臣となる相だが朝廷に出仕できない
たしかに忠臣でした。“出仕”できないというのは、
内侍の職のことは出仕とみなしてないのかな?と解釈してます。
大臣とか官僚とかなら出仕なのでしょうね。
だから(3)も当たっているということで一応OKかな?
かなり重箱の隅な記事ではございますが、検証させていただきました~。


コメント
こんばんは!
私も2は釈然としないんです(以前のコメントにも書いたのですが重複お許し下さい)。
ケヒャンとは結婚しないしコドモもしくは明確な後継者もいませんでしたし。ケヒャンが遺志をついで内子院再建を担う、というのはあまりあてはまるとは考えずらくて。良妻賢母、子孫から遠すぎます(笑)
すとんといく解釈があれば知りたいです♪
黄梅さま、こんにちは~
> 私も2は釈然としないんです(以前のコメントにも書いたのですが重複お許し下さい)。>
> ケヒャンとは結婚しないしコドモもしくは明確な後継者もいませんでしたし。ケヒャンが遺志をついで内子院再建を担う、というのはあまりあてはまるとは考えずらくて。良妻賢母、子孫から遠すぎます(笑)
> すとんといく解釈があれば知りたいです♪
気になりますよね!!
でもすとんと納得できる解釈もなさそうな気がします。
脚本の辻褄あわせ忘れ???
韓国のファンの間ではどのように解釈されているのか知りたい気もします。
なるほど、ネシは科挙を経て官僚となったのとは違うぞと。イチモツなき鼓子ごときが「出仕」とは片腹痛いわと。
2の「良妻賢母」とは、「賢母」は2人の母を指す。どちらも溢れん限りの愛情をチョソンに注いだ。「良妻」は解析不可能ながら、童顔杏里がチェ尚膳の良き妻(?)だったから、彼女を指名してもいいかな~。
「子孫」は、ケヒャンがやる気マンマンで遺志を受け継ぎ、内侍院を復興し、血は繋がらずともチョソンの王への忠義の心は、鼓子一人ひとりに伝え、末代まで語り継ぎ、その後チョソンのような内侍を輩出した。
むりやり解釈してみました。笑。
「当たるも八卦当たらぬも八卦ということだったのだよ」とソグィ、泉下で大いに笑う?
それで、チ ャ ス ン 王后、慈順王后なんですね。ご指摘ありがとうございます。「チャンス」なんて、おバカでした~。
額に「誤」のワッペン付けなければいけません。漢字だと絶対忘れません。カタカナ反対!
皆さま、お笑い下され。そして又私にお仲間に入れるチャンスを下さい。
>チ ャ ス ン 王后、慈順王后なんですね。
すんません。細かくて。それも違います。
チャスン(慈順)大妃であって、
王后としての名前は、チョンヒョン(貞顕)王后です~。
「慈順」というのは大妃としての名前ですね。
そこでちょっと疑問。
どの時代劇見ても王后が大妃として出る時、大妃としての名前が出てこない気がします。
でもチョンヒョン王后だけは、大妃として出ると大妃としての名前で出てきますよね。
(あ!逆にインス大妃は王后としての名前が出てきませんね)
なぜでしょうか?
そうなんですね。亡くなってからのおくり名でなくて生きてる間に変わっちゃうんですね。「慈順」っていいですね。
有難うございます~。又、色々とびしびし教えてくださいね。
今日の額のワッペンは「勉」です。
こんばんは!
-王后と-大妃と称号が違うのはややこしいですよね。
私もたまにどっちだったか混乱します。
>逆にインス大妃は王后としての名前が出てきませんね
チャスン大妃/慈順王后はうっかり気付きませんでしたが、
指摘されるとそんな気も。また、仁粹大妃はなぜ「明恵王后」
とまーったく出てこないのでしょうか?私も気になります・・
朝鮮王朝実録とか、「-王后」で統一されてる本ですら、「仁粹
大妃」の回数のほうが多かったり。中国ウィキには「彼女は
歴史上、よく『仁粹大妃』と呼ばれる」とあったんですが、この
現象のことだったのかなーと思っています。
書物系でも「明恵王后」と書いたものがすごく少ない気がします。
キャリアに似合わないから?(縛)、明るく恵む・・朗らか過ぎます!
なんちゃって。
西太后とか清朝の皇后妃嬪なら、正式名称が長すぎる(朝鮮のも
省略してありますが、もっと長いときがある)ので、ひとつの名前
で固定してしまうのもわかる気がするんですが。韓国の時代劇
業界の方に聞いてみたい!
もしくは韓国時代劇雑誌の編集部にメールで(笑)
なんだか盛り上がっているのでやってきました。
同感です!
王后時代と大妃時代で名前が違うのは
ほんと覚えにくくてややこしいです~
インス大妃の王后時代の名称があまり出てこないのは
実際には王后時代がなかったから?と
(世子妃ではあったけれども国母=王后・王妃にはなっていない。
あとから王后の名をもらったのではなかったでしたっけ?)
ただ単純に思っていたのですが違うのでしょうか?
うめ子さまこんにちは!
.>王后・王妃にはなっていない
あーそうでしたね。その可能性ありそうかも。
素人判断ですが。。。
イ・サン母のホン氏もわりとそんな扱いな気が
します(「恵慶宮洪氏」が一番とおりがよくて、
でも夫が荘祖と追号されたのと同時に死後、
献敬王后になってますが、それで呼ばれたの
みたことなし!死後80年してからのおくり名なの
せいかもしれませんが・・)。
初めまして。
同じく「王と私」を観ていて、三能三無の意味がわからず検索するとヒットしたのが貴女(貴男?)のブログでした。
ところで は、内侍府は朝廷ではないので合ってると思います。
は、まだ最後まで観てないのでどうとも言えないですが、占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦と割り切るか、チョソンが一生1人の女性を思い続けたと考えるか…。
韓国ドラマはそこまでこだわってないと思いますよ。ほとんどフィクションで史実とは違いますから。
失礼しました。
ぬ~ぼさま、はじめまして!コメントありがとうございます。
> ところで は、内侍府は朝廷ではないので合ってると思います。
内侍府だと「朝廷に出仕」にはならないということですよね。
安心しました~
> は、まだ最後まで観てないのでどうとも言えないですが、占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦と割り切るか、チョソンが一生1人の女性を思い続けたと考えるか…。
> 韓国ドラマはそこまでこだわってないと思いますよ。ほとんどフィクションで史実とは違いますから。
たしかに!ぬ~ぼさまのおっしゃるとおり、
そこまでこだわってつくってないか
三能三無エピソードをすっかり忘れたか(爆)のような気がします。
ただ最近思ったのですが、史実ではチョソンは養子がいたはずなので、
「良妻賢母(=ウォラやオ氏)と子孫(=養子)に恵まれるが
(内侍なので自分の血を引いた)血縁を残せない」という
シンプルなことだったのかな~とふと思ったりはしています。
またお気軽にいらしてくださいませ!コメントありがとうございました。
「王と私」テレビ放送で観たのは2回ですが、今でもたまに観たいと思います。
『三能三無』私個人的な見解ですが、多分は何れもキム・チョソンが去勢されていなければ…という事なのではないか?と思いました。
もしも、去勢する事なくキム・チョソンが一人前の男だったならば、彼には3つの可能性がある筈だったのに去勢してしまったばかりにその3つの可能性は全て無しになってしまった…という意味だったのではないか?と思いました。
それでも、その可能性が無くなったからこそ彼には唯一の内侍ネシの道が残ったのではないか?と思います。
それから話は変わりますが、内侍ネシや宦官カンガンは、去勢して子孫が残せないからこそ?同じく内侍ネシや宦官カンガンから違う家紋同士ではありますが、養子縁組みをして義理の親子関係を結ぶ事が出来たのですね。
これも「王と私」を観ていて気付きました。
ポリプさま、コメントありがとうございます。ずっと気づかないままで昨日サイトをいじるときに承認させていただきました。失礼をお詫びします。
なるほど、その解釈はスマートですし的を射てますね。ありがとうございます。
王と私は初回の手術シーンが私には印象深く、主役の方が最近は悪役として活躍されているのを見るにつけ思い出します。
主役だった方がここまで悪役に・・・というのは昔のドラマの光海君役の方とこの方くらいな気がします。