これまで手控えていたのは世子様が病気だったからだ!なのに甲斐がない!と
世子の死に憤慨する礼曹判書ホン・ユンソンが鼻息荒~く語っています。
クォン・ナムも錦城大君やソン・ヒョンスらの弾劾にかなり積極的です。
これは世子を失った虚脱感が招いた反作用だとナレーションが説明してくれました。
魯山君を庶民に降格にするのは認めるけどそれ以上はダメ!と主張する世祖。
『世祖実録』によると世祖は処分を望む臣下たちの進言を13日間拒み続けたとか。
官僚たちは譲寧大君や孝寧大君など宗親も総動員してゴリ押ししまくり、
13日めの10月21日にようやく世祖が臣下の主張を受け入れました。
錦城大君とソン・ヒョンスには賜薬を、順興府使イ・ボフムは絞首が決まります。
ここまでは正しい記述(多分どの書物でも食い違っていないという意味)ですが、
魯山君(ノサングン)は彼らの悲劇を知ると命を断ち朝廷が礼葬した・・・という
記録があるもののお墓は見つからず、また数々の野史で異なる記録があるとか。
そのためこのドラマでは『丙子録』に従って魯山君の最期を再現したそうです。
賜薬を携えた禁府都事ワン・バンヨンが寧越に到着したのは梅雨時でした。
魯山君は清冷浦から寧越郡内の観風軒(クァンプンホン)に移っており、
「恨みに満ちた鳥が一羽 宮殿を飛び立ち 一人寂しく影を落として 青い山中を彷徨う」
という詩をしたためているところにワン・バンヨンの声が聞こえてきます。
不忠をお許しください・・・と詫びながら王命を告げる役人らを魯山君は慰めると、
一旦部屋の中に入り下男に弓の弦(つる)の端を持たせてあることを命じました。
言われたとおり、部屋を出て戸を閉めて弦を思いっきり引っ張る下男。
部屋の中では、弦を首に巻いた魯山君が最期のときを迎えていました。
この下男は体中の穴から出血して即死し、あたりには黒い霧が立ち込めたとか。
10歳で世子となり、12歳で王位につき、15歳で譲位した魯山君が、17歳で逝去。
最後に見た夢は、大妃(定順王后)と仲良く笑ってはしゃぐシーンでした・・・。
魯山君は数日放置されて川に投げられるも、急流に揉まれても流されずにとどまり、
その数日後に消え去りました。戸長オム・フンドはみずからの危険をかえりみず
魯山君のご尊体を回収し荘陵(チャンルン)の地に埋葬し、寧越後を離れます。
60年後に中宗がお墓を捜索。正祖時代にオム・フンドが忠臣として荘陵にまつられ、
順祖の時代に忠毅公(チュンウィゴン)という諡号を贈られました。
定順王后ソン氏は東望峰(トンマンボン)のふもとの浄業院(チョンオブウォン)で
82歳(長生き!)になった年の4月26日に悲劇の生涯を終えました。
一説によると浄業院の松の枝がみな寧越を向いていたそうです(涙)。
241年後の粛宗24年、魯山君に端宗の諡号が贈られ、定順王后として追葬されます。
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そうなんです、行数が増えるのが嫌で
ちょっとへんなのはわかっていたのですが
定順王后の話のところだしまいっかと思い省略しちゃいました。
わかりにくくてすみませんです。
また何か策を見つけたら書き直してみますね。