「景福宮を百岳(ペガク)山の前に建てたために正龍が衰えて傍龍が栄えている」。
そんな噂がはびこっているとイ・ヒョンロが領議政ファンボ・インにささやきます。
私は摂政の座に欲はありませんが兄上(首陽大君)に任せてはなりません、
そのためにあなたとキム・ジョンソに朝廷を動かしてほしいのです・・・と安平大君。
こうしてファンボ・イン―キム・ジョンソ―安平大君ラインが成立したようです。
密談を盗み聞きしていたユ・スがイ・ヒョンロをボッコボコにしていますが、
首陽大君に仕えるなら問題を起こすなというハン氏の言葉を思い出して止めます。
漢陽から松都に赴任している役人たちが集まって宴を開催。
ハン・ミョンフェは宮直(クンジク)の職を馬鹿にされて仲間に入れてもらえません。
この故事から、人の本質を見抜けぬ人物を「松都契員」と呼ぶようになったそうです。
敬徳宮(キョンドックン)の門番の弟分がヤン・ジョンなんですね。
文宗はいまだ摂政や垂簾聴政に言及せず、ファンボ・インやキム・ジョンソのほか、
チョン・インジ、ハン・ファクを要職に据えて死後のために朝廷を固めました。
その結果、首陽大君サイドの人間が朝廷に少なくなったそうです。
序列では義父上が摂政すべき!みずから申し出るべきです!と必死で説く嫁ハン氏。
そんな矢先に文宗が危篤とのしらせが飛び込み、首陽大君は宮殿にかけつけると、
なんとか自分に遺言を残させようと必死に声をかけますがあえなくあの世へ・・・。
1452年、在位2年3ヶ月、39歳の若さで文宗が崩御。残された世子は12歳でした。
策士がほしい首陽大君が、クォン・ナムが推薦した男のことを思い出しました。
ハン家使用人マンドゥクが松都に走り、ハン・ミョンフェが急いで漢陽へ戻ります。
文宗の亡き後、議政府は意図した項目にあらかじめ黄色い印をつけた書類をあげ、
それを幼い端宗が自動的に選ぶことで政治が進んでいました。(=黄標政治)
つまり領議政ファンボ・インや右議政キム・ジョンソの思うがままということですね。
そんなある日、官職を売買する奔競(プンギョン)の禁止を二人が申し出ました。
奔競を禁じると王族の権限が大幅に減るのですが、何もわからない端宗はOK!
首陽大君は怒り、安平大君も寝耳に水だったため、一緒に宮殿に乗り込みました。
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