二人の功臣を関雎殿(クァンジョジョン)に幽閉させて兵に囲ませた世祖。
兵を信用できずに銀川君(ウンチョングン)と金山都正に兵を監督させますが、
王族である彼らのことも信用できず今度は承旨2人に二重に見張らせました。
あの二人が反逆を企てるわけありません!と王妃(貞熹王后)が世祖に訴えていると、
シン・スクチュ(高霊君)の長男シン・ミョンの訃報が北方から舞い込みました。
イ・シハプ率いる反乱軍により、威興(ハムン)で命を落としたというのです。
北方では、亀城君やナム・イが率いる討伐軍が苦戦を強いられていました。
イ・シエの甥ホ・ユレを利用して敵に内紛を起こせと亀城君に提案するユ・ジャグァン。
都に戻ると、大恩を受けている二人が謀反を企てるわけがありませんと世祖に報告し、
二人にかかわる噂を流したのはイ・シエの陰謀に違いないと見解を示しつつ、
5本の矢を受けても奮闘するナム・イを昇進させて士気を高めろと進言しました。
世祖がやっとこさハン・ミョンフェ(上党君)とシン・スクチュ(高麗君)を放免。
「そなたたちを許したが政事を顧みるときは独断を控えろ」という書状を渡します。
すると今度はチョン・チャンソンやイ・シエらが釈放に疑問を呈しました。
イ・シエを取り調べてもないのに二人が潔白かどうかわからない!との主張でした。
世祖はその訴えを退けて追い払うと、世子(海陽大君)に言い聞かせます。
「上党君と高麗君には大いに働いてもらったがお前の時代には若手を活躍させろ」と。
ユ・ジャグァンの策が効を奏して、イ・シエやイ・シハプが捕えられました。
父が反乱軍に捕らわれていたホ・ユレが、イ・シエの部下を説得したそうです。
ハン・ミョンフェらの噂は単なる作戦だったと認めた後、イ・シエは車裂きに・・・。
咸吉道全体を巻き込んだイ・シエの乱が、三ヶ月を経てようやく鎮圧されました。
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