婚礼から3ヵ月後の成宗7年(1467年)11月7日、王妃ユン氏が王子をご出産。
王孫が誕生すると産室に敷いたムシロを片付ける倦草之礼(クォンチョジレ)を挙げ、
この儀式の献官は子だくさんの大臣(このときはノ・サシン?)が務めます。
王子が生まれると、尚衣院(サンウィウォン)が献上した5色の織物と
ぼくとう、道袍(トポ)、笏(しゃく)金色の帯などが陳列された後、
それらを入れて封をした箱を献官が内資寺(ネジャシ)に渡し倉庫で保管します。
王女が生まれた場合は、内贍寺(ネソムシ)が儀式を主管するそうです。
もちろん王室は大喜び。成宗が大赦令を出して世継ぎ誕生を祝います。
王妃の亡父ギギョンには領議政が贈職、母シン氏にもご褒美が下賜されました。
一方でチョン昭容は占い師に立腹し、オム昭容にも不機嫌をぶつけまくり。
オム昭容に止められたのに、小刀を持って占い師のところに怒鳴り込みました。
偉大な王はみな長男以外だから大丈夫!と占い師が適当に丸め込みます。
その後、こっそり外出したのが仁粹大妃にバレて思いっきり叱られました。
咸陽の郡守時代に私が書いた詩が入った扁額を捨てたそうだな!と
ユ・ジャグァン(武霊君)が占畢斎キム・ジョンジクを怒鳴りつけました。
キム・ジョンジクはユ・ジャグァンを軽蔑しきっているらしく鼻であしらいます。
12月、勲旧大臣たちの使用人が地方観察使から財物を奪ったという上書が相次ぎ、
ハン・ミョンフェや息子ハン・ボらが賄賂事件で弾劾されました。
まずハン・ミョンフェの使用人トチと忠清道節度使イ・ジョンセンが追及され、
ハン・ミョンフェは大妃たちに「5年間戻ってこない使用人の仕業」と説明。
取調べの結果、焦点となる直筆の手紙の証拠能力があいまいだったため、
ハン・ミョンフェの果たしてきた功績を認める成宗が不問に付してくれました。
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