王妃ユン氏の王子が産まれて100日後、高熱が出たうえ発疹も現れました。
難病の痘瘡と診断され、大王大妃(貞熹王后)が円覚寺に祈りに行くと、
お堂の仏像が逆向きに座っていてびっくり!腰を抜かしてしまいます。
(チョン昭容の仕業?でしょうか。後にこの件で月山君が災いを被るとか・・・)
王子は療養に出されることになり、吏曹判書カン・ヒメンの家が選ばれました。
彼は世宗時代の名臣カン・ヒアンの弟で、貞夫人アン氏の人柄も知られていたそう。
王子を預かるのは名誉であると同時に、もしもの場合は罪に問われたそうです。
ユ・ジャグァン(武霊君)が兵法にたけていることを評価した成宗が
武官最高の地位である五衛都摠府の都摠管(トチョングァン)に任命しました。
庶子の登用は法度に反します(嫌われ者だし)!と重臣たちがいっせいに反対。
ユ・ジャグァンと占畢斎キム・ジョンジクがまたまた激しく言い争います。
すぐれた学者としてしられるキム・ジョンジクの学問はすでに完成されており、
弟子にはキム・イルソン、キム・グェンピル、チョン・ヨチャンらがいました。
ある日ユ・ジャグァンがキム家を訪ね、なぜかベタボメします(怪しいですね)。
幸いにも王子は快復し、成宗も王妃もカン・ヒメンにいたく感謝します。
後に燕山君となった王子はカン家の庭1本の松の木に金の帯を飾り官職を与え、
カン家の門前を通るときは馬から下りろとの命令を出しました。
人々はカン家の大門を「避馬屏門(ピマビョンムン)」と呼んだそうです。
チョン昭容の放った刺客が占い師の小屋に侵入し、剣を突きつけました。
中宮殿の女官サムウォルが訪ねるともぬけの殻。嫌な予感がします!と訴えます。
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