続いて同じ日に記された、ハン・ミョンフェに対する批判的な論評も紹介されます。
若きハン・ミョンフェは学問を志すも大成せず(そういえば科挙に合格してません)
忠順衛に属し不遇な日々を過ごしており、クォン・ナムと盟友になりました。
世祖が王位につく際に策士を務めた功績により、10年間で政丞の座につきます。
常に国務を忘れず、思うところがあれば奏上し、立てた功も多かったそうです。
そのためおべっかを使う者も多く、賓客が絶えず、そのもてなしには定評があり、
多くの重臣が家に出入りするそのさまは宮殿と見まがうほどでした。
派手で大掛かりなことを好み、財に欲が深く、皆は土地や奴婢や財宝を貢ぎ、
広い家に住み、妾も多く(ドラマでは一人しか出ませんね)、誰もが知る富豪サマ。
使臣として明に行くと官吏にへつらい皇帝に山ほどの賄賂を贈りましたが
副使は止められなかったそうです。しかし晩年は権勢を失い、賓客が途絶えました。
諌官に批判されることはあっても素直で他意のない性格ゆえ名誉を保ち得たとか。
ナレーションおじさまいわく、史官の論評なので誹謗も目につきますが、
最後の「批判されることはあっても~・・・」の部分は吟味すべきところだそう。
何より婿であり王である成宗に遺した言葉「最初は勤勉でも~~」には
今を生きる我々も心が熱くなる・・・ともおっしゃっていましたよ。、
以上が、月足らずと呼ばれたハン・ミョンフェの73年間の波乱の人生でした。
有能な上に人並みはずれた直感をもち、いかなるときも動揺しなかったそうです。
ハン家の使用人マンドゥクと老いたイム・ウンがしみじみと語り合っています。
功労があるのに官職につかなかったのは首陽大君の鉄槌執事イム・ウンだけとか。
ハン・ミョンフェの死から10年後、成宗が38歳の若さで生涯を閉じました。
王位を継いだのは廃妃ユン氏の息子。彼こそが朝鮮王朝10代目王の燕山君です。
燕山君は母后の復讐の化身でしかなかった・・・というナレーションどおり、
のっけから悪役マンマン顔でイ・ミヌさんが登場して仁粹大妃を睨んでいます。
王妃シン氏がえらく老け顔・バブリーメイクなのも注目したいですね♪
燕山君が父王・成宗の墓碑銘を見て生母ユン氏の事件の経緯を知った頃・・・
前昌原府使チョ・ジソが晋州から上訴を出してユン氏の件に触れちゃいました。
「草むらに埋葬されているのでちゃんと陵にすべし」との上訴を読んだ燕山君は
わなわなと怒り、義兄で都承旨のシン・スグンに承政院の日記を調べさせました。
王でも見ることが許されない記録のためシン・スグンが父スンソンに相談すると、
王命に従うしかないが百年触れるなという成宗の遺命も明記しとけと言われます。
重臣たちは先王の遺命を破ったチョ・ジソを弾劾し、仁粹大妃も大憤慨しました。
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