成宗8年(1477年)6月1日に王妃ユン氏がカン・ヒメン宅へと出かけたのは
預けている王子と会うだけではなくおそろしい陰謀のためでもありました。
女官ホンに手配させた、チョン昭容たちの呪い人形を受け取るためだったのです。
(が、この呪い人形がほのぼのとかわいくてまったく呪いっぽくありません)
さっそく人形を仕込まれた昭容たちがギャーギャー驚いていますが、
告発すれば王妃を追いやれるこの事件を二人はあえて口外しませんでした。
やがてチョン昭容は身ごもっていた子を流産してしまいます。
都管ユ・ジャグァン(武霊君)が、自宅に錬石を飾ったことで弾劾されました。
ちなみに錬石とは、磨いてさまざまな絵を刻んだ豪華な大石のことだそうです。
左承旨から都承旨になったイム・サホンが今回は笑って高みの見物を決め込みます。
倹約し謙虚にならねば・・・とユ・ジャグァンに言い聞かせるハン・ミョンフェ。
人のこと言えるんですか?あの豪華な狎鴎亭は?と至極もっともな反論をされると、
クックック・・・名門の私はそなたとは違うのだ♪と笑って言い返しました。
そして「世祖の時代はいわば創業時代だし多少の無茶も仕方なかった」そうです。
贅沢すんな!と成宗にも叱られたユ・ジャグァンは錬石の撤去をしぶしぶ承諾。
しかし納得できず、皆に仕返ししてやる!と復讐を胸に誓いました。
王妃ユン氏が二男を出産した頃・・・。都では火災が続き、土雨にもみまわれました。
みずからの節食を公言し民には禁酒令を出すと決めた成宗を臣下が称える中、
「火災は民の不始末、土雨は豊作の前兆。重臣の杞憂です」とイム・サホンが意見。
「小輩の甘言だ!」と怒ったハン・ミョンフェが真っ向から反論しました。
増長するイム・サホンを嫌う重臣たちは、父イム・ウォンジュンの過去を弾劾。
かつて安平大君とつるんでいたときに薬剤を盗ったとして責めました。
するとユ・ジャグァンがすかさずイム・サホンに近づき意気投合して反撃開始。
手始めに、成宗の信頼あついヒョン・ソクギュを槍玉にあげ、朝廷を乱しました。
姻戚イム・サホンをかばう王大妃(安順王后)は、仁粹大妃と言い争いに。
以前かばってもらった恩がある王妃ユン氏も当然イム・サホン側ですね。
状況をみてとったハン・ミョンフェが朋党(プンダン)の危険性を指摘すると、
学者キム・ジョンジクや吏宗判書カン・ヒメンも同意を示し、成宗も納得しました。
こうしてイム・サホンとユ・ジャグァンが流刑されると、王大妃が成宗に抗議します。
「殿下は大王大妃や大妃の言うことは聞くのに、私のことは考えてくれない!」。
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