海陽大君(世祖次男)を早く世子にしなければ・・・と話すクォン・ナムに対し、
世子妃様は国母の器なのに・・・とハン・ミョンゲとシン・スクチュが残念そう。
世祖は新しい世子を冊封する前に粛清した人たちを供養したいと言い出し
大臣たちの反対を無視して鋳字所に法華経・大蔵経・釈譜を印刷させます。
そして吏曹判書のハン・ミョンフェを奏聞使(チュムンサ)の正使に任命。
明でイイもの仕入れたら大儲けっすね!と礼曹判書ホン・ユンソンが喜んでます。
世子妃でもないのに宮殿にはいられないと潜邸へ戻ろうとするハン氏。
再起を誓っているわけでもなく「王と妃」とはまったくキャラが違いますね~。
世子が生きていたら完璧な国母だったろうに・・・と世祖もその資質を認め、
世祖と王妃(貞熹王后)が宮殿に引き止めても出て行く決意を曲げず、
幼い月山大君と明淑公主、生まれたばかりの者山君と一緒に潜邸に帰りました。
宮殿スタッフはもとより屋敷の使用人もひれ伏してハン氏に敬意を示します。
私が失念していても世子妃への気配りを忘れないでとお付きのキム尚宮に命じ、
「国母にふさわしかった」「聡明な月山大君が忘れられない」とこぼす王妃でした。
ハン氏が宮殿を出て2ヶ月が過ぎた世祖4年(1458年)2月12日、
宮殿で開かれた豪勢な仲朔宴(チュンサギョン)にハン氏が招かれました。
季節の中心である2月5月8月11月に王族や臣下を慰労するこの仲朔宴には
もちろん領議政チョン・インジも招かれていますがちょっぴり不機嫌そう。
譲寧大君らがノリノリで踊りまくっている中で突然踊るのをやめると、
法華経や大蔵経を刷らせたことを真っ向から批判しました。(排仏崇儒なので)
世祖は怒って出て行き、宴の席はいっぺんにしらけてしまってお開きに。
なんと無礼な!と激怒する王妃をハン氏がなだめるのでした。
次の日の夜、世祖が宮殿にチョン・インジを呼んで昨日の発言の理由を聞きます。
酔っていたので覚えていません・・・と黙り込むばかりのチョン・インジ。
怒った世祖はチョン・インジを免職して義禁府に投獄しちゃいました。
宰相がいないと政治も滞りますから許しましょうと王妃が放免をすすめます。
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