チョン・インジが一日もたたずに放免され品階も元に戻されたと知って
左議政チョン・チャンソンやカン・メンギョンら朝廷のほとんどが世祖に抗議。
怒った世祖はチョン・インジを河東府院君(ハドンプウォングン)にしました。
そんな中、海陽大君の世子冊封の件で明を訪れていたハン・ミョンフェが帰国。
すると世祖は下三道の飢饉を見て来いと賑恤使に任じ、ミョンフェを遠ざけます。
ミョンフェ(チョン・インジ復職に反対)は判断力を欠いた世祖の政治を憂慮し、
あの方さえいれば・・・と私邸に暮らすハン氏のことを思い浮かべるのでした。
イ・イクらが礼曹判書ホン・ユンソンの悪行を世祖に訴えています。
なんでもキム・ハンの娘が絶世の美女と知り、モノにしようと家に押し入ったとか。
結局は娘が逃げて何もなかったのならいいじゃん?と世祖は相手にしません。
殿下がヘン!と心配するホン・ダルソンにハン・ミョンフェが別の心配を示します。
「何度も謀反を経験している殿下は自分たちのことを信用しなくなるかも」と。
弾劾を受けたホン・ユンソンは地方任務で楊州に下るも、そこでもまた女漁り。
娘を見初められてしまった両班は脅されて泣く泣く差し出すしかありません。
ある夜、ホン・ユンソンがウキウキでキム・ジャスの家を訪ねると、
正妻にするなら従いますが妾なら死にます!と娘が小刀を手に迫りました。
すでに正妻がいるにもかかわらず、オッケー♪と安請け合いするホン・ユンソン。
次の日に都に帰ると、二人目の正妻をめとりたいのです!と世祖に直訴しました。
(高麗時代は京妻(キョンチョ)と郷妻(ヒャンチョ)をもつ風習があったとか)
そなたの家のことだしな~ワッハッハと世祖は笑って認めてくれ、
ホン・ユンソンは最初の正妻ナム氏に続きキム氏とも正式な婚礼を挙げました。
二人も正妻をめとるというホン・ユンソンの奇怪千万なふるまいを許したうえ、
毎夜のごとくホン家に出かけて宴三昧の世祖に功臣たちは不満気味。
世祖4年(1458年)、地方から戻ったミョンフェは世祖の行動を知り驚きます。
スポンサード リンク