礼曹判書ホン・ユンソンは腐敗の象徴であり、憎む民も多かったそうです。
世祖だけが例外で、彼の“おごり”を楽しみ、酒を飲みにホン家を訪ねていました。
そなたの夫人を連れてきてくれ♪と笑い、躊躇した末に妻を呼ぶホン・ユンソン。
世祖が新しいほうの正妻キム氏の顔をじろじろ見ながらお酌をさせます。
政院(ジョンウォン)日記には世祖がキム氏を「夫人」を呼んだとの記述があり、
ホン・ユンソンの死後、二人の正妻が財産をめぐって争った際、
キム氏は政院日記の記述を盾に王が認めた正妻は自分だと主張しました。
後に成宗が特命を出して二人を正妻と認め、失笑を買ったそうです。
工曹判書ヤン・ジョンが咸吉道(ハムギルド)への再赴任を命じられて怒ってます。
彼は乱世には近くに置き平和なときは遠くに送るという存在だったそうですが、
その待遇が後に悲劇を生みます。(知りたい方は
このあらすじをどうぞ)
世祖4年(1458年)9月15日、重臣を慰労するための養老宴が開かれました。
シン・スクチュが女真族を探るため平安道に旅立ってから一週間後のことでした。
その席で世祖が、非命に倒れた者を成仏させるために盛大な法事を催すと宣言。
「そなたは何を言っている?昔あれほど教えたのに儒学の道理をしらないのか!」。
怒った領議政チョン・インジが師匠が弟子を叱るように世祖を叱責しました。
席藁待罪してはどうですか?とコトを収めようとするハン・ミョンフェを、
諸悪の根源は自分だとわかっているのか!?とまたチョン・インジが非難。
そなたが迷える殿下を諌めないからそなたの仕事を私がしたまでだ!と
怒りに震えながら怒鳴り飛ばしました。その勢いにミョンフェびっくり~。
日を改めてチョン・インジの家を訪ねて今度はミョンフェがこう切り出します。
「体面は傷ついても刑罰を受けるよりは辞任して田舎へ行ってください・・・」。
そなたたちに朝廷を任せられん!と拒んだチョン・インジも、ついに辞表を提出。
酔っていたのでよく覚えてませんが皆に弾劾されているようですし
病も進行して老衰しているので田舎に引っ込みます・・・という内容でした。
碩学チョン・インジは世宗時代に集賢殿の副提学としてハングル創成にも貢献し
朝鮮の天文学の真髄である七政算の編修を主導。高麗史の再編も手がけた人でした。
ハン・ミョンフェの側妻ナンの前に、かつての婚約者らしき男が現れました~。
ミョンフェのことを月足らずだとけなす婚約者をナンが追い返して泣きます。
婚約者とその使用人ネ・ウンサンが帰宅途中のミョンフェを襲いました。