*韓国ドラマあらすじ部*

韓流時代劇(韓国歴史ドラマ)の最終回までの全話あらすじストーリー(ネタバレ)&感想レビュー&人物相関図など。女人天下、同伊(トンイ)、王女の男、チャンヒビン、馬医、王と私、王の女、正祖イサン、大王世宗(テワンセジョン)、太陽を抱く月、キムマンドク、インス大妃etc

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<「韓明澮ハンミョンフェ~朝鮮王朝を導いた天才策士~」あらすじ96話>

前に私が賄賂の件で弾劾したのに今回は自分から公認を求めやがって・・・!と
明に向かったハン・ミョンフェのことをノ・サシンがプンプンと憤っています。
ってことで「右承旨カン・ジャピョンがハン・ミョンフェに贈ったはなむけの詩が
王命では巻き物のはずなのにハン・ミョンフェの望みで本だった」として弾劾。
老体をおして明へ行った彼をしょーもないことで叩くな!と成宗がはねつけました。
そのハン・ミョンフェは明に到着していますが、今回は賄賂合戦を回避するようです。

後の燕山君が世子に冊封された日、仁粹大妃が世子の師匠にきつく言い渡します。
「世子を殿下に劣らぬ聖君に育てなさい!廃妃のことは決して知られないように!」。
孝心にあふれる成宗は、大妃たちのために頻繁に宴を開き、世子も同席しました。
燕山君が遊楽を好むようになった背景には、このような生活が一因とされるとか。
その宴の最中、大王大妃(貞熹王后)が倒れました。ですがただの老衰と診断され、
三大妃は温陽温泉にウキウキ小旅行。成宗は大妃のために新しい宮殿を建てます。
寿康宮跡に建ったこの昌慶宮には、昔は思悼世子と張禧嬪の霊肉がありましたが、
日本の統治下で動物園と植物園になり、名前も昌慶園へと変わりました。
ですが今では昌慶宮という名を取り戻し、かつての姿が復元されているそうです。

ところが成宗14年(1483年)3月30日、療養先の温陽で大王大妃が亡くなりました。
享年66歳だった大王大妃は、判中枢府事兼領議政である坡平府院君ユン・ボンの娘。
世宗の二男の嫁として王室に嫁ぎ、11歳で首陽大君の妻となり、数々の政変を乗り越え、
甥を追放して王位についた夫(世祖)が逝去した後は朝鮮王朝初の垂簾聴政を行い、
王妃として14年、大妃と大王大妃を15年務め、最期まで権力を誇ったそうです。
温陽で没した大王大妃の殯宮は宮殿には設けず、永順君の私邸に2ヶ月安置され、
6月3日に世祖と同じ光陵(クァンルン)に埋葬されます。諡号は貞熹王后でした。

かなりよぼよぼなハン・ミョンフェは、その光陵にお参りした後、辞表を提出。
成宗はハン・ミョンフェの功をほめたたえる文を下して引退を認めました。
仁粹大妃はかつて私邸で暮らした辛い時期を支えてくれた感謝を述べて慰留。
そこへ世子がやってくると、世子の学問をテストしてくださいなと強く迫ります。
しぶしぶ『明心宝鑑』から出題すると、世子は答えられず、大妃が激怒しました。

実直なだけじゃだめだぞエヘン!とエラそうにアドバイスするハン・ミョンフェ。
ご指導を受けたのは、一気に昇進した右副承旨キム・ジョンジク(占畢斎)ですが、
すでに「弔意帝文」を書き上げており、ハン・ミョンフェを激しく蔑んでいたとか。
でも成宗はキム・ジョンジクの実直さがお気に入り。都承旨→礼曹参判へと任じます。
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