死期を悟った世祖は、孝寧大君邸やかつて住んだ潜邸(=粋嬪ハン氏邸)で療養。
親族たちとひとときを過ごした後、意外なことにハン・ミョンフェ宅を訪ねます。
14年間の治世を涙ながらに振り返った後で、世祖がミョンフェに釘をさしました。
「これ以上欲を出すな、ファンボ・インたちと同じ轍を踏むな、世子を補佐しろ」。
領議政イ・ジュン(亀城君)と工曹判書ナム・イが功臣の処遇をめぐってプチ揉め。
このときナム・イが功臣の謀反を警戒して口にした「謀反」という言葉を
すかさずユ・ジャグァンが問題視してナム・イの弾劾に動き始めました。
ところで前話で世祖に叱られたホン・ユンソンの素行が全く治ってませんねー。
女性を的の前に立たせて矢を放って遊んだり、民の田んぼを取り上げたりしてます。
世祖14年(1468年)8月23日、世祖がナム・イを兵曹判書に任命しました。
癸酉靖難と丙子年の獄(死六臣事件)の関係者すべての赦免も命じます。
さらに謀反を防いで確実に王座を継がせるために、世子への譲位を決意。
元老を敬うのはよいが重用せず俊才と共に国を導け・・・と言い聞かせました。
粋嬪ハン氏がシン・スクチュ(高麗君)を呼びつけて政治に口出しスタート。
30歳の若造や19歳の世子に国を任せられるのか?とたきつけますが
慎重なシン・スクチュは行動を起こそうとはせず「待ちましょう」と答えます。
そして9月7日、世祖が世子に譲位し、即位式をとりおこないました。
こうして世祖が上王となり、二男の海陽大君が王座につき睿宗の治世が始まります。
睿宗はすぐさまナム・イを兼司僕将に、パク・ジュンソンを兵曹判書にしました。
降格されたナム・イが反発するも、「経論にたけた元老に頼る」と睿宗が宣言。
あれだけ言い聞かせて人事の布石も打ってきた世祖がちょっとお気の毒ですよね~。
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