幽閉をとかれて帰宅したハン・ミョンフェを粋嬪ハン氏が訪ねて労っています。
時代は変わりました・・・と自嘲気味に現在の政局を説明するミョンフェ。
若造や庶子に政治はできませんわ!という粋嬪ハン氏の憤慨をよそに
世祖はイ・ジュン(亀城君)やナム・イを敵愾(チョクゲ)功臣に封じました。
敵愾功臣は、開国・定社・佐命・靖難・佐翼功臣につづく開国以来6番目の功臣。
亀城君とナム・イはもちろん一等功臣ですが、問題は庶子のユ・ジャグァンでした。
そこで世祖はユ・ジャグァンを兵曹正郎に任命するという破格の人事を決行。
文科も武科も受けていない庶子をそんな役職につけてはなりません!と
チョン・チャンソン、チェ・ハン、ク・チグァン、ホン・ユンソンが次々と抗議。
しかし世祖はまったく取り合わず、ジャグァンが重臣らをムッとして睨むのでした。
世祖は若手3人を世子に連れさせて王妃(貞熹王后)に挨拶に行かせます。
ところが王妃は「無分別な血気に国は治められない」と冷たい反応でした。
ホン・ユンソンが就任三ヶ月で右議政の座を下ろされちゃいました。
左議政にホン・ダルソン(南陽君)が任命されますが、功臣たちの雲行は怪しいまま。
世祖の療養先でユ・ジャグァンを及第させるための科挙を行う予定だというのです。
そして翌世祖14年(1468年)2月13日、温陽温泉で文武科の初試と重試が実施。
これはユ・ジャグァンを首席合格させるための特別処置だったそうで、
選考官であるシン・スクチュとチョン・チャンソンが選んだ3つの答案の中に
ユ・ジャグァンの答案がないと知った世祖が「なぜないんだ?」とムッカー。
古語の引用が多すぎて文法もおろそかなので・・・とシン・スクチュが説明しても、
古語を引用するのは学識が豊かだからだ!と屁理屈こねて首席及第させました。
庶子ではなく兵曹正郎として受験・合格したジャグァンは即日で兵曹参議になります。
ある日、世祖夫妻がお散歩していると、あるご夫人が木に登って泣き叫んでいました。
ホン・ユンソンの叔母であるそのご夫人は、ユンソンが夫を殴って庭に埋めたと直訴。
(ご夫人の頭に葉っぱがついててマヌケなのですが、演出なのかがナゾです)
世祖は長いセリフまわしでオヨヨと激昂してユンソンを叱るも処分はしません。
しかしその後で倒れてしまい、目覚めると若手二人を呼んで重職を与えました。
なんと領議政に亀城君@30歳、工曹判書兼五衛都官にはナム・イ@28歳・・・。
若手の台頭に時代の変化をひしひしと感じる功臣たちは、耐えるしかないのでした。
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