世子(海陽大君)が兵曹判書ハン・ミョンフェの三女ネンイを妃に迎えました。
粋嬪ハン氏は先日ハン家で見かけた賢そうな四女ソンイのことが忘れられません。
あの子を者山君の嫁にしたいわ~とミン尚宮(アンソン宅)に意見を聞くと、
ハン家と王室がさらに姻戚になるのを殿下が許さないかもしれないと言われます。
目下のところ朝廷の議題は辺境の女真族の扱いをめぐる明との対立でした。
領議政カン・メンギョンらが明の意向に配慮して和解をすすめる中、
世祖は左議政シン・スクチュと礼曹判書ホン・ユンソンを咸吉道へ派遣命令。
そのとき世祖は、自分が植えたフクベを見ながら世子に例えて禅問答します。
季節も過ぎたので実らないでしょうとスクチュが暗喩に気づかず答えちゃいました。
咸吉道へ着いた二人は、咸吉道に赴任しているヤン・ジョンと合流。
8月27日、綿密な作戦を練ったシン・スクチュのおかげで大勝利をおさめます。
ちゃちい戦闘シーンでしたが、ホン・ユンソンがノリノリなのはよくわかりました。
勝利の報に世祖は大喜び。明には、女真族の征伐は不可抗力だったと説明します。
戦火の飛び火に備えて平安道へ派遣されたハン・ミョンフェが咸吉道を訪問。
殿下に気概が戻ってきた・・・!とスクチュと二人で喜んでいると、
実ったフクベで作った杯が都の世祖から届けられてスクチュ大感激!です。
10月4日、世祖が李氏朝鮮史上初めての西道巡行に出かけました。
王妃(貞熹王后)と世子も同行したため、華やかで大規模な行列だったそうです。
功臣たちと世祖は外地で落ち合うと、さっそく勝利の宴でワイワイ。
この杯で飲みます・・・とシン・スクチュが世祖に忠誠を尽くしました。
世祖はかつて世宗大王が文字を創成するときに重臣たちが反対した例を挙げ、
正しい「事大慕華」についてのご高説をにこやかな表情でお垂れになります。
年が明けて世祖7年(1461年)、王室にさらなる慶事が起こりました。
昌徳宮に住む世祖のもとに、世子妃(後の章順王后)の懐妊がしらされたのです。
このときハン・ミョンフェは地方任務に就いており、一時帰京していました。
しかし不吉な予感にかられている超能力者なミョンフェはなぜか喜ばないのでした。
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