成宗10年(1479年)6月1日、ユ・ジャグァンとイム・サホンに下されたのは、
王大妃(安順王后)の強力な働きかけにより官職はく奪と流刑にとどまりました。
4ヶ月余りして帰京命令が下りますが、このときの不在が天の助けになったとか。
即位後10年の成宗は23歳、大王大妃(貞熹王后)の垂簾聴政が終わり3年が経ち、
成宗の善政により世は平和でしたが、王妃ユン氏の胸中だけは違いました。
成宗のおわたりを待ち続けるも、次男を産んでもご無沙汰で、キイィィーッ!
誕生日の表裏(ピョリ=服の表地と裏地)はもらうが祝賀は拒むと表明しました。
もう3年も王妃様を訪問していませんよね?どうかお訪ねください・・・と
ユン淑儀が進言しても成宗は朝講から夜対までいつも通りにお勉強をこなします。
熱を出したと言ってきてと王妃がホン女官に命じるも、魂胆を見抜く成宗は無視。
今晩くらいは中宮殿にお越しくださいとキム内官がすすめてもやっぱり拒みます。
成宗が侍妾イルホンにおわたりしたと知った王妃はなんとイルホンの部屋へ!
ラブラブタイムをぶちこわして、成宗の目の前でイルホンを痛めつけまくります。
止めに入った成宗の顔に王妃が爪あとを残したのは、成宗10年6月1日のことでした。
翌日の会議に臣下を召集した成宗はことの次第を説明したあと、叱りつけます。
「前の事件のときそなたたちが廃妃させなかったからこんなことが起こったのだ!」。
けれども王子(に復讐される)のことを考えた臣下は側室への降格でとどめたがり、
太宗が元敬王后に下した処分を持ち出して左議政ハン・ミョンフェも反対します。
オム昭容は昨年見つけた呪い人形を仁粹大妃に差し出しながら昨晩の事件を報告。
激怒した仁粹大妃をはじめ、事態におののく大王大妃も、成宗の意見に賛成します。
6月2日、王妃として権勢を誇ったユン氏が庶民に落とされ、宮殿を後にしました。
世継ぎを変えないのなら王妃は処分するべきでないと説き続けるハン・ミョンフェ。
王子が王位についたときに母を復位させようとして混乱するからと説明します。
いつもはハン・ミョンフェ万歳!な仁粹大妃も今回ばかりは首を縦にふりません。
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