怒っても褒めても効果がない・・・と世子(譲寧大君)のことで頭を抱える太宗。
医学・農業・天文・地理・国防・外交を学んだという忠寧をふと思い浮かべた後、
外出を見逃した守門将を百叩きのうえ追放し奴婢にせよ!と命じてから東宮殿へ。
世子の机の上に『史記』があるのに気づくと、その内容について質問しました。
父王を殺した穆王のことを朝鮮建国の経緯になぞらえて痛烈にあてこすりつつ、
その息子・壮王が三年間遊び暮らした「鳴かず飛ばず」の逸話も回答する世子。
世子がちゃんと書物を読んでいるのに安心した太宗は、今回も許すことにします。
このころ朝鮮は倭寇に悩まされていたようで、地方から報告書が届きました。
太宗は「倭の言葉を学んで倭のことを調べろ(=倭学:ウェハク)」と命じます。
そして、史書の編纂という大仕事を終えた老領議政ハ・リュンをねぎらった後、
『高麗史』(チョン・ドジョン著)の後半に間違いがあるから修正しろとご命令。
編纂を終えた史書に手をつけることに、ハ・リュンは明らかに気乗りしません。
太宗に楯突くのが怖いので他の官僚たちもなんやかんやと言い訳をして従います。
この修正作業は、ハ・リュン、イ・スクポン、ピョン・ゲリャンに任されます。
しかし太宗16年までにイ・スクポンが失脚し、さらにハ・リュンが逝去したため、
世宗3年1月にひとまず完了となり、世宗後期まで補完と校正を繰り返しました。
聖君とされる世宗でさえも先祖の記述には敏感だったそうで、こう言ったとか。
「チョン・ドジョンの『高麗史』は正確さに欠けるから、修正して当然だ」。
祖父・太祖の祭祀のために、世子と弟の大君たちが揃ってお寺に外出しました。
寺に来てまで読書し、朝鮮の民のためのわかりやすい文字を構想する忠寧大君に、
朝鮮の世子にはお前のような者がふさわしい・・・と世子が満足そうに話します。
その後、ならず者仲間と寺の庭で火を起こして鹿肉を焼いてドンチャン騒ぎ~。
殺生厳禁!なお寺での非常識行為に僧侶が怒っても、世子はただ笑うだけでした。
スポンサード リンク