14世紀、中国大陸で元が衰退し、1356年に高麗王朝が元と断交しました。
1368年には中国の長江流域に明が建国され、元を北に追いやります。
1370年になり、高麗は明に接近するも、朝廷は親明派と親元派に分かれます。
分裂する高麗王朝に対して、明は鉄嶺以北の領土返還を要求しました。
高麗の当時の権力者といえば、門下侍中チェ・ヨンと守門下侍中イ・ソンゲ。
倭寇や元との戦いで功績を上げていた武人イ・ソンゲこそが、後の太祖です。
占領地を奪回する「遼東征伐」を提唱して明に対抗したがるチェ・ヨンに対し、
イ・ソンゲは大国相手の梅雨どきの戦を反対し「せめて秋まで待って」と主張。
しかしチェ・ヨンの固い意志は変わらず、イ・ソンゲは渋々ながら出兵します。
1388年、右軍都統使(副司令官)イ・ソンゲは威化島(ウィファド)に布陣。
戦況が圧倒的に不利だったため、禑王に撤退を2度も申し入れました。
ところが禑王は撤退を認めず、内侍府事キム・ワンを通じて進撃を促します。
現場の惨状も知らずにエラそうな態度のキム・ワンをイ・ソンゲが捕らえさせると、
謀反に等しいこの行為を左軍都統使チョ・ミンスやトゥン・ドゥランが支持。
禑王14年(1388年)5月22日、野心を実現すべくイ・ソンゲが行動を起こします。
これが、10万の大軍を開京(ケギョン)へと撤兵させた「威化島回軍」でした。
兵を激励するため平壌にいた禑王と義父チェ・ヨンは回軍のしらせにびっくり。
都から逃げ出す官僚も多く、イ・セク、チョン・モンジュ、ハ・リュンたちが
この大変なときにチョン・ドジョンは何してるんだ?と会議でイラついている頃、
成均大司成(ソンギュンテサソン)チョン・ドジョンは自宅で悠然と構えています。
ここで、イ・ソンゲファミリーが登場しますよ。豪華キャストです!
イ・ソンゲの郷妻(ヒャンチョ)ハン氏は「女人天下」オム尚宮の方でしょうか。
京妻(キョンチョ)カン氏は、お若い頃の美しさ全開のキム・ヨンランさん!
イ・ソンゲ五男イ・バンウォンの夫人ミン氏は肝っ玉がすわった人のようで、
義父上の決死の覚悟をご理解ください・・・とバンウォンに砒素を渡しました。
イ・ソンゲ長男イ・バンウは、王命にそむいた父を支持できないようすです。
回軍に疑問を示す兵を始末しながら開京へ向かっていたイ・ソンゲですが、
自分も戦いに加わろうととやってきた息子バンウォンの軽率さを責めて追い返し、
内侍キム・ワンを王のもとへ送り、チェ・ヨンの罪を問えと伝えさせました。
すると禑王は、キム・ワンを通じてお酒と黄金を下賜しただけで返答を避けます。
ついにイ・ソンゲが開京に攻め入り、崇仁門を突破して、宮殿へ入りました。
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とりいそぎお返事させていただきます。
もしかして携帯でお読みいただいてます・・・よね?
私の携帯でもそうなのですが常用漢字じゃない部分は空白になるようです。
携帯とPCでは文字コードが少し違うのでしょうね・・・
ちなみに、ウ王と書いていまして、ウは「示禺」という文字です。