学識も高まり詩も詠み書道の腕もすごい!とチョン・チャンソンが世子を絶賛中。
そこへ、都承旨キム・ジョンジクが息せき切って入室して、ある報告をします。
豊川尉イム・グァンジェが父イム・サホンの免罪と復位を要求したというのです。
一緒に追放されたユ・ジャグァンの企みだな・・・とハン・ミョンフェが推測します。
王大妃(安順王后)は娘(顕淑公主)の義父であるイム・サホンの赦免を求めますが、
成宗は認めてくれず、仁粹大妃の言うことなら聞くくせに!とムカついてます。
しかし2ヶ月後、成宗は7年間追放中のユ・ジャグァン(武霊君)の復職を命令。
(会議に参加した中で復職に反対したのは領議政チョン・チャンソンだけでした)
復帰したユ・ジャグァンの息子には科挙の受験資格も与えられたそうです。
11歳になった世子が、臣下と一緒にしばしば游街(民の視察)に出かけています。
ある日、街で見かけた母牛と子牛の姿を見て、実母に会いたいと言い出しました。
仁粹大妃は、生母は父上の二番目に迎えた正室だったがこの世を去ったと教えます。
領議政を11年務めたチョン・チャンソンが成宗に再び辞職を申し出たため、
新領議政ユン・ピルサン、左議政ホン・ウン、右議政イ・グッペという顔ぶれに。
引退組の仲間入りをしたチョン・チャンソンが訪ねてくるとハン・ミョンフェは、
廃妃を止められなかったのを悔やみ、世子に嘘を教えるのはよくない!と話します。
さて、幼い世子がいきなりグレはじめました。まずは女性問題。
女官チオクを部屋に引きずり込み、上着を脱げと命じてコーフンした表情になり、
元服前ですのに・・・講義の時間です~と内侍(キム・ジャウォン?)に止められ、
このことを口外すんなよ!と女官チオクに口止めする狡猾さものぞかせます。
世子の師匠は寛容なホ・チム(弼善)と厳格なチョ・ジソ(輔徳)でしたが、
チョ・ジソの厳しい指導に嫌気がさした世子は勉強を中断して部屋に戻ると
「チョ・ジソは小人なり ホ・チムは聖人なり」と師匠をけなすお習字を書いて
侍講院に貼るという騒ぎを起こしました。(とても下手っくそなお習字でした)
そんな世子も嬪宮を迎える年齢のため、ハン・ミョンフェが成宗に揀擇を進言。
そなたはいつも言いにくいことを言ってくれる♪と仁粹大妃が感謝します。
このときの世子妃揀擇で禁婚令の対象となったのは8歳ー15歳だったようです。
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