明の使臣チョン・ドン(鄭同)が狎鴎亭(アックジョン)に寄りたいと希望。
会議でハン・ミョンフェは狎鴎亭を何気に自慢しつつ、自分の不徳を詫びます。
成宗と朝廷は狎鴎亭の訪問は認めるも、左議政ユン・ピルサン宅はNGとしました。
狎鴎亭のスバらしさとハン・ミョンフェの名声は明にも知れ渡っているとか。
成宗がハン・ミョンフェの教えを請うているのは周知の事実だとほめた使臣は、
6月8日に成宗に謁見を願い出て廃妃ユン氏の復位問題に口を挟んできました。
使臣で内侍ごときが謁見するとは!とエラそうに憤るハン・ミョンフェですが、
直接チョン・ドンにその文句をぶちまけるわけではなさそうです。
「私が都に滞在する間に次の王妃を決めたら皇帝にうまいこと報告しまっせ」
と使臣に言われたため、三人の大妃と成宗がいよいよ王妃選びについて話し合い。
以前と同じようにユン淑儀を推す成宗の意見を仁粹大妃がしぶしぶ認めます。
さっそく成宗が王子にユン淑儀を「母上」と呼ばせて生母と教え込んでますよ。
ミン尚宮(「女人」キム尚宮)とキム尚宮(「龍の涙」ポクソプ)がお衣装を渡すと、
冊封の儀まで王妃の衣装は着ないと殊勝な心がけのユン淑儀に断られました。
新しい王妃が決まったと聞いたユン氏はただただ王子を思いながら涙を流し、
「この件を明に伝えに行く不届き者」は誰かを知りたがりました。
で、こんな大役はあなたしかいない!と奏聞使に指名されたのがハン・ミョンフェ。
よくわかりませんが、これが原因で死後、燕山君に切り刻まれちゃうんでしょうか?
旅立つ前に冊封の儀を済ませてください!とハン・ミョンフェが成宗に提案。
「国母がいない隙に明が姫を送り込んでくるから」との主張に成宗が納得します。
しかし、成宗とユン淑儀の婚礼は大スキャンダルによって延期されました。
王族で従四品・恵人(ヘイン)のオウドンが複数の男と関係して捕まったからです。
このニュースを酒の肴にしながらイム・サホンとユ・ジャグァンが大笑い。
オウドンとかいう女は武霊君の男らしさには気づかなかったようだな♪だの、
取調べでイム・サホン大監の名が出たらどないしますぅ?だのと二人でウケてます。
(こういう下世話な会話っていかにも当時の男どもが交わしてそうですよね♪)
7月11日に始まった尋問に対するオウドンの供述は『実録』に載っているそうで、
オ・ユソ、ノ・ゴンピル、キム・セジョク、キム・チン、チョン・スクジ、キム・フィ、
パク・カンチャン、ホン・チャンら8人の両班や、下男チ・ゴビらが相手と判明。
なんと父親のいとことも関係しており、その恐ろしさに大妃たちが身震いします。
オウドンは、承文院知事パク・ユンチャンの娘で、泰江守(テガンス)イ・ドンの妻。
「定宗の孫嫁も同然です」という仁粹大妃のセリフがあったのですが、
調べたところ孝寧大君の嫡五子である永川君の庶長子の泰江守の妻のようですね。
三ヵ月後の10月18日、オウドンは絞首、両班たちはむち打ち&官職剥奪で決着。
成宗11年11月8日に婚礼が行われると、ハン・ミョンフェは明へと旅立ちました。
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