世祖8年6月26日に生まれたユン・ホの娘が、19歳で王妃の座につきました。
寛容と慈愛を兼ね備え宮中の人間すべてに称賛されていたという貞顕王后に、
あーたが王子の生母ってことでちゃーんと育ててねと仁粹大妃がおっしゃいます。
明に着いたハン・ミョンフェは、礼部に意地悪されて誥命を受けられずにいました。
皇帝への献上品はどうなってるの?と聞いてくる欲深なチョン・ドン(鄭同)に、
朝鮮一の功臣で領議政も務めた私に賄賂を求めるのか?と立派な態度ですが、
王子もいる王妃を何で廃したのかと皇帝が気にしてるよ~とチクチク言われると、
下男マンドゥクを通じてチョン・ドンに袖の下を渡して受領証をもらいました。
こうしてやっと会えた礼部郎中の趙繕(ちょうぜん)に朝鮮人参と虎皮を渡し、
ナレーションによると“仕方なく”賄賂で誥命をゲットしたハン・ミョンフェが
5か月にわたる屈辱的な旅を終えて成宗12年の4月に帰国を果たしました。
もちろん成宗は奏聞使ハン・ミョンフェと副使イ・スンソを褒め称えて褒美を下し、
彼の経綸の才が天下を動かしたのです!と大妃軍団も大絶賛しています。
「仁粹大妃の伯母(明皇帝の側室)からの伝言」も会話中にちらりと登場しました。
ところがユ・ジャグァン(武霊君)やノ・サシンが、明の官僚との賄賂合戦を弾劾。
まともに挑んでも無理なんだから賄賂もしょーがないだろ?と成宗がかばいます。
小物どもがガタガタ言いやがって!とハン・ミョンフェは弾劾をものともせずに
ご自慢の狎鴎亭(アックジョン)に明の使臣チョン・ドンを招いて宴会中。
経綸の何たるかを私に教えてください♪と言われてエラそうに説明してやってます。
そこへ、夫人ミン氏が倒れたとのしらせが入り、ハン・ミョンフェが帰宅しました。
使臣30人を狎鴎亭に招待してもらえませんかね?とチョン・ドンが成宗にお願い。
成宗が許可するも、ハン・ミョンフェが出した次のような要求が朝廷を騒がせます。
「狎鴎亭は狭いから横の空き地で開催するが補簷(ポチョム=とばり)が必要」。
これを受けた成宗は狎鴎亭ではなく済川亭(チェチョンジョン)での開催を決定。
さらに、財をなした重臣たちが川辺に建てた東屋をすべて取り壊せと命じました。
「補簷を求めたのは暑いからで他意はない。夫人が病なので宴には参加できない」。
ハン・ミョンフェのこのような釈明に成宗は怒りまくり、ぶちこんじゃいました~。
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