廃妃ユン氏が宮殿を追放された10日後の6月12日、産まれたばかりの二男が逝去。
誰かが砒霜を飲ませたに違いない!と泣きわめくユン氏を母シン氏がなだめます。
「ユン氏の処遇はあんまりだ、せめてユン氏を別宮に住ませ衣食を与えるべきだ」。
ユ・ジャグァン(武霊君)が同副承旨ホン・グィダルを必死に説得しています。
同じように考えているチョン・ヒョンジョ(河城尉)がハン・ミョンフェを訪問。
これまで傍観していたハン・ミョンフェも実は同じ思いだったとわかりますが、
なにやらエラそうに「国難」を口にして廃妃のことでは何も動かなさそうです。
8月16日、ユン氏の待遇が不当として大司憲パク・スクジンが上訴を提出。
大司憲ごときが!献納キム・ミとともに捕らえよ!と成宗がワナワナしてます。
兄弟と会うくらい許してやっては?と同副承旨ホン・グィダルが上訴に同意すると、
同副承旨のくせに!とさらに怒った成宗が三人まとめて義禁府にぶちこみました。
けれどもその後、ユン氏の家に兄弟ユン・グとユン・ウの出入りを許すことや
行動を慎めという諺文(オンムン)教旨を下すことを仁粹大妃に相談します。
パク・スンジンらは翌日に釈放され、兄弟の出入りを許可する王命が伝えられると、
ユン氏はかなりしおらしいようすで喜び、ただ王子に会いたい・・・と泣きました。
その王子は宮殿で元気に育っていますが、母親に会いたがるようすを見せています。
仁粹大妃や大王大妃(貞熹王后)が婚礼をせかせる一方、時間がほしそうな成宗は、
「兄弟の出入りが許されたからといって浮かれてふるまいを乱すでない。
将来のことは廃妃の振舞いにかかっている」と期待のあるような訓戒を伝えます。
さて、このところ成宗のおわたりが頻繁なオム昭容がいばりくさっています。
ユン氏が復位するかもよ!とチョン昭容が女芸人みたいな表情でせっつきました。
次に、気高いユン淑儀のこともつつきますが、適当に追い払われます。
ユ・ジャグァンが、ユン氏の件ではなく軍事体制の改変を上訴しました。
つづいて『典籍(チョンジョク)』の刊行をハン・ミョンフェが提案するも、
財政難につき実行が難しいとわかると、私財を投げ打つと発表しました。
「私ごときが4代に仕え4度も一等功臣になり2度も領議政になった恩を返す」
というハン・ミョンフェの立派なお心が、朝廷丸ごと涙と感動で包みます。
ちなみに『典籍』の刊行を私財で助けたのは朝鮮王朝でただ一人とか。
飢え死にしないだけの財産を残してあとは献納する・・・と言い出した夫に、
うちの人の徳があれほど高いとは・・・!と夫人ミン氏も側室ナンも大感激します。
たしか「王と妃」では対立した仁粹大妃から財産をカツアゲされたんでしたよね?
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