吏曹判書の座を親友クォン・ナムから奪ったことになると気にするハン・ミョンフェ。
帰宅すると待っていたクォン・ナムに療養をすすめるなどしきりに気を遣い、
仲のよい奥様同士(ミン氏とイ氏)もこの件でちょっぴりギクシャクしちゃいます。
町では世子の病は世祖への天罰だという民の噂がはびこっていました。
世子妃ハン氏@21歳が夜を徹して看病を続け、僧侶が祈りまくっても、病は悪化。
その間も重臣たちは錦城(クムソン)大君やソン・ヒョンスの弾劾を続けており、
世祖はついにソン・ヒョンスを百叩き&妻子と一緒に辺境で官奴生活と決定します。
極刑を求める重臣たちには不服なものでしたが(家族一緒は恩情処分だそう)、
世子があんな状態だからこそ重い処分はしたくない・・・と世祖が明かしました。
ってことで、もと大妃(定順王后)以外の家族は役人に連れられて行きます。
さて、魯山君(ノサングン)の最後の忠臣・寧越戸長オム・フンドが初登場です。
なんと彼は魯山君の声が聞こえてきたので川を泳いで渡って来たとか。
オム・フンドは孤島のような地でさびしく暮らす魯山君の話し相手になりました。
世祖3年(1457年)9月2日、臥せっていた世子が20歳でこの世を去りました。
このとき月山大君4歳、明淑(ミョンスク)公主2歳 後の成宗は生後2ヶ月でした。
国母として将来を約束されていた世子妃ハン氏はこの悲劇に泣きじゃくります。
みずからの運命を予期していた世子は、一遍の詩を用意したそうです。
「雨風が無情で牡丹の花は落ち 踏み石にはためく赤い芍薬 赤い欄干を満たす
蜀の地で楊貴妃を失った明皇は 後宮をめとれど満たされなかった」
潜邸(首陽大君時代の屋敷)に戻ろうと思います・・・と早々に申し出るハン氏。
ならぬ・・・と王妃(貞熹王后)が止めてます。「王と妃」とかなり違いますね~。
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