燕山君の生母ユン氏の復位を仁粹大王大妃は頑として拒み続ける。燕山君の暴走を止めていた府院君シン・スンソンが逝去すると、燕山君は自分に諫言する内官を戒めるため首に慎言牌を下げさせたり、宴で当時のことを持ち出して重臣を脅すなど、「罪人の子」という烙印を祖母に消させるために常軌を逸した行動に出る。やがてハン・チヒョンもこの世を去り、仁粹大王大妃と燕山君の間を取り持つ者は誰もいなくなった。
イム・サホンの意を受けたチャン淑媛のすすめで母の墓参りに出かけた燕山君は、荒れ果てた状態に衝撃を受けてイム・サホンを呼び、続いて祖母シン氏と対面。母が策略に落ちたと聞かされるとともに、母の血のついた遺品を目の当たりにした。だが仁粹大王大妃はユン氏のことを悪し様に言い、燕山君も廃嫡すべきだったと罵る。憤った燕山君は、チョン貴人とオム貴人を引きずり出し、チョン貴人の息子である安陽君と鳳安君に棒で叩かせた後、大王大妃殿でも狼藉を働く。
震え上がった重臣たちはユン氏の復位を進め、陵墓も懐墓から懐陵に昇格された。二人の貴人の家族は流刑され、ユン氏に賜薬を運んだイ・セジャは観念して命を絶った。燕山君は、イ・セジャを弾劾しなかったことを理由に学者を処分し、チョン・チャンソン、ハン・ミョンフェ、ハン・チヒョンら故人にも制裁を下す。この事件は甲子士禍と呼ばれている。
「大君を産んだ王妃ユン氏に権力を奪われないために追放し、官僚をその共犯者にすることで王室の配下においた」と燕山君義兄シン・スグンに明かした仁粹大王大妃は、燕山君を不孝者のままにしておくために和解と謝罪を拒み続け、晋城大君を守ろうとする。そんな仁粹大王大妃が69歳で逝去したのは、燕山君が待ち望んでいたユン氏の復位式の前日だった。燕山君は仁粹大王大妃を世子妃の待遇で弔わせ、人々が泣くのを禁じた。
燕山君はチャン淑媛と昼間から遊び、朝会にも經筵にも出ない。狩りに邪魔だった民家を撤去させて禁標を立てさせ多くの流民を生み出し、宴を開いて重臣夫人を襲い、諫言したキム・チョソン内官を斬るなど、非道なふるまいを重ねる。チャン淑媛と兵曹判書イム・サホンが権勢をふるい、出世できないユ・ジャグァンは不満を抱いていた。
そんな折、燕山君に貞操を奪われたと噂されていた月山大君夫人パク氏が命を絶ち、弟のパク・ウォンジョンが謀反の名分を得る。燕山12年、娘婿にあたる晋城大君の擁立をシン・スグンに持ちかけるも協力を断られたため始末すると、ユ・ジャグァンらとともに宮殿に突入し、国璽を奪った。新しい国王には晋城大君が即位し、中宗が誕生する。燕山君は喬桐県に送られ、ほどなくして逝去した。(完)
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