ハン・ミョンフェとシン・スクチュの処遇に悩む世祖に、月山君と者山君を守るために二人を生かしてほしいと粋嬪ハン氏が願う。真面目な学者シン・スクチュの忠誠心を思い返した世祖は彼の枷を緩めろと指示するが、義禁府の役人がすでに勝手に枷を緩めていたと知ると激怒して処分した。そして三政丞の人事を刷新すると、なぜハン・ミョンフェを弾劾しないのかと迫り、シン・スクチュと共に関雎殿に幽閉した。
ハン・ミョンフェが謀反を企んだとされれば婿の者山君に累が及ぶため、粋嬪は彼らの解放を世祖に迫る。孝寧大君も処分に反対した。世祖は官僚を集めて世子(後の睿宗)への忠誠を誓わせるが、ホン・ユンソンが「二人を救うなら何度でも忠誠を誓う」と反論する。
北方ではシン・ミョンが矢に射られて命を落とし、イ・シエの乱は収まらない。亀城君は世祖の意図を受けて長期戦に持ち込んでいた。都ではユ・ジャグァンの提案に従い世祖が親征を宣言。討伐軍の士気は高まり、亀城君がイ・シエ兄弟を捕らえ、シン・スクチュとハン・ミョンフェの潔白も証明される。この乱で亀城君が一躍英雄となる一方で、故クォン・ラムの娘婿で太宗の血をひく将軍ナム・イは彼ほど脚光を浴びなかった。
赦免されたハン・ミョンフェに早々に会いに行く粋嬪だったが、野心への協力を拒まれると、命を落とす危険も省みずに強い薬を飲んで熱病になる。見舞いに訪れた世祖が涙を流し、者山君を世孫にすると言い出した。だが孝寧大君やシン・スクチュの反対によりあきらめ、所有している土地の半分以上を粋嬪に下賜する。
亀城君やその配下を出世させるも、ナム・イが亀城君を批判したことから新進勢力への信頼を弱めた世祖は、何度も人事を変えた後に、ついに28歳の亀城君を領議政に任じた。ユ・ジャグァンは若手勢力として台頭しながらハン・ミョンフェにも近づこうとする。
世子に国政を任せて孝寧大君の屋敷で療養することにした世祖が、反対しに来た粋嬪と会話を交わすことなく宮殿を出た。その後、功臣たちを呼び集め、若手ではなく自分たちに世子を補佐させるべきとハン・ミョンフェに言われると、彼らを疑っていたことを悔いる。さらに者山君を世孫にと主張され、世祖が応じかけるも、具合が悪くなり臥せってしまう。
世祖はこれまでの粛清の罪をほろぼすかのように謀反者やその親族を釈放させると、世子に譲位。第8代王睿宗が誕生すると同時に、世祖は太上王、貞熹王后は王太妃となり、すでに王子(斉安大君)を産んでいた側室・昭訓ハン氏が王妃(安順王后)に冊立され、粋嬪とは会わないままに崩御する。在位期間14年、享年52歳だった。
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