李氏朝鮮王朝第5代国王・文宗が、世子(後の端宗)の将来を心配しつつ即位後2年で崩御した。宮中では、文宗の寵愛を受けたオム・ジャチを筆頭とする内侍、右議政キム・ジョンソをはじめとする重臣たち、そして王族の3勢力が拮抗していた。オム・ジャチは文宗の側室・貴人ホン氏を利用して幼い世子を操ろうと企み、先王(世宗)の側室で端宗の乳母でもある恵嬪ヤン氏はキム・ジョンソと通じて勢力を握ろうとする。
王室の長老・譲寧大君(世宗兄)は、世宗の二男で文宗の弟である首陽大君に“王の器”を認めており、彼にリーダーシップを求めるが色よい反応はない。後ろ盾となるはずの大妃や王妃が逝去していたため、世子がなかなか即位できない中、首陽大君がキム・ジョンソと話し合う。王位への邪心がないと互いに確認し、政治を議政府に任せることを約束した結果、ようやく6代国王・端宗が誕生した。
キム・ジョンソが権力を握り、王室の権限は削られ、端宗はなついている叔父・首陽大君に会うことも許されない。 “キムに屈した”首陽大君は民から嘲笑され、世間に忘れられた存在になる。そんな首陽大君を支援する一人がクォン・ラム校理だった。首陽大君息子・桃源君の夫人ハン氏はクォン・ラムに心づけを渡すなどして義父の活躍を心待ちにしていた。野心的なハン氏に、桃源君や首陽大君夫人ユン氏はいい顔をしない。ハン氏に贈られた米俵をクォン・ラムからもらった宮直ハン・ミョンフェは、友人イ・ヒョルロの紹介で安平大君に会うも、安平大君に仕える気は起こらなかった。
後宮では貴人ホン氏と恵嬪ヤン氏の小競り合いが続いており、解決のために首陽大君一家が宮殿を訪ねることになった。端宗は叔父の手をとり再会を泣いて喜ぶ。
一方で、世宗三男の安平大君が策士イ・ヒョルロの助言で領議政ファンボ・インと通じ、さらには兵曹ミン・シンも集うようになり、存在感を増していた。譲寧大君は、“次男以下が栄える”というイ・ヒョルロの発言を問題視。安平大君らの勢力を制したいキム・ジョンソは、“政治に口を出さない”条件で王室の仕事を首陽大君に任せて和解した。文宗の王陵建設を担った首陽大君は、王族の禍福を論じた罪と安平大君をそそのかして仲違いさせた罪を指摘し、皆に見せつけるかのようにイ・ヒョルロに罰を与え始めた。
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