成宗の崩御から自分の即位まで5日もかかり、その異常事態を臣下が許したことに燕山君は深く傷つく。仁粹大王大妃は王大妃(安順王后)が憤るほど燕山君に辛くあたり、晋城大君をことさら可愛がる。生母ユン氏にまつわる真実をどこまで知っているかを隠していた燕山君だったが、本来は読むのが禁じられている承政院日誌を読みふけると、母の墓の移転を命じる。仁粹大王大妃と燕山君は断食して対抗しあう。ハン・チヒョンと燕山君の義父シン・スンソンが二人を和解させたものの、燕山君は宮殿の外に楽しみを求め、斉安大君邸で開かれる宴で遊んだり、やさしい月山大君夫人パク氏に母のことを聞きたがる。
墓陵の騒動を受けて領議政シン・スンソンが辞表を提出。新しい人事が発表されるが、領議政は空席のままだった。編纂中の『実録』の内容を管理したい仁粹大王大妃がハン・チヒョンを任用したいからだと人々は推測する。「世祖が徳宗(懿敬世子)の側室と関係した」と記されるという噂を知った仁粹大王大妃は右議政ハン・チヒョンに探らせ、国王でも干渉できない『実録』への口出しに学者たちが反発を示した。
『実録』の責任者で左議政のオ・セギョムは困り果て、ユ・ジャグァンが言葉巧みに近づく。世祖の正統性を否定する「弔義帝文」が確認されると、燕山君は史官キム・イルソンらを取り調べ、母の記録を執拗に読みたがり、仁粹大王大妃の意向だと称して大勢の学者を追及。キム・イルソンはもちろん、彼の師匠で「弔義帝文」を書いた故キム・ジョンジクにまで処分が及び、史官イ・モクと私信を交わしたイム・サホンの息子ヒジェも捕らえられる。これが燕山4年に起こった朝鮮王朝最初の士禍である戊午士禍であり、燕山君は王権を強化し、ユ・ジャグァンは恨んでいたキム・ジョンジクに復讐を果たした。
王妃シン氏が産んだ大君が病弱なため、月山邸に預けられ、燕山君がしばしば訪問していた。月山大君の未亡人であるパク氏と燕山君の関係が噂される中、燕山君は斉安大君の屋敷で知り合った妓生チャン・ノクスを淑媛にして宮中に入れ、仁粹大王大妃に挨拶に行かせた。さらに大王大妃殿のそばに宴会用の東屋を建てるなどして祖母に挑む。
燕山君に生母ユン氏の復位を命じられた領議政ハン・チヒョンに説得されても、もちろん仁粹大王大妃は首を縦にふらない。次に王妃の父シン・スンソンが訪ねると、シン・スグンの娘と晋城大君の縁談を申し込まれる。府院君一族と結婚させることで晋城大君を守れると考えたからだ。復位の議論が進まないのに憤った燕山君は、深夜の宮殿に晋城大君を呼び、どちらかに毒の入っている2杯の中から一つを選べと言い、ぶるぶる震えるばかりの晋城大君を前にそのうちの一つを飲み干して笑うのだった。
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