とても19歳には見えない老けた王妃(仁穆王后=宣祖@51歳の継妃)は、
側室の仁嬪(インビン)キム氏をそばにおいて作法を覚えたりしているもよう。
ある日、素行の悪さではツートップの臨海君&定遠君(義理の息子)を呼ぶと、
世子のために行いを改めなさい!と説教してさっそく王妃の威厳を示しました。
王妃は「世継ぎが生まれても他意は抱かない(世子を脅かさない)」そうですが
「殿下が長生きすれば・・・」とちょっぴり意味深なことをつぶやいています。
朝廷では、左議政キム・ミョンウォン@69歳と右議政ユ・ヨンギョン@54歳を、
年下ながらも度量の広い領議政イ・ドクヒョン@42歳がまとめていました。
光海君のことを認めている彼は、明に世子として冊封してもらうべきと主張。
王妃実家とつながりのあるユ・ヨンギョンはおもしろくなさそうな表情です。
耐村(ネチョン)カン・ホンリプと稚川(チチョン)刑曹判書ユン・バンは、
世子を支持するよう領議政イ・ドクヒョン(イ・ドッキョン)から頼まれました。
チョン・インホンが宣祖のたっての願いで大司憲(テサホン)に任命されました。
“68歳の頑固者”とも称されている彼は、陜川(ハプチョン)の生まれで、
字は徳遠(トクウォン)、雅号は来庵(ネアン)で、チョ・シクの一番弟子。
文禄・慶長の役で義兵将となり手柄を立て、嶺南(ヨンナム)の儒林の柱でした。
宣祖に拝謁した彼は、臣下がまとまっていない!王の機嫌を伺いすぎ!と主張。
寵愛している大物臣下の厳しい言葉に、宣祖はたいそうご満悦な様子です。
チョン・インホンを嫌いなイ・ギのことをホ・ギュンがイ・イチョムに話してます。
この時代の有名人物の一人であるイ・イチョムはイ・グットンの孫で広州生まれ。
親孝行で旌門(せいもん)がたつほど名声を博し、若い儒生に慕われており、
かつてユ・ソンリョンを領議政の座から退けたこともあったそうです。
結婚後三ヵ月後で懐妊した王妃に「王子を産んでおくれ」と宣祖が声をかけます。
そんな折、陳奏使(正使イ・グァンジョン/副使クォン・ヒ)が明から帰国。
王妃の冊封については誥命(コミョン)使がまもなくやってくるとの返事ですが、
光海君の世子認定に関しては今回も色よい返事がなかったと報告しました。
大臣たちの会話で、光海君の冊封には明の世継ぎ問題が絡んでいたとわかります、
皇帝は長男の皇太子ではなく寵愛する次男に継がせたいものの、臣下は反対。
そのため明の礼部は朝鮮の頼み(次男即位)を皇帝に伝えていなかったそうです。
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