「馬医」の主人公であるペク・クァンヒョンは実在した人物です。
ドラマの設定とは細部での違いはありますが(実父が陰謀で・・・とか)、
低い身分から御医になった人という点では史実と変わりありません。
そこで『朝鮮王朝実録』や韓国サイトの情報をもとに彼の生涯をまとめました。
なお『朝鮮王朝実録』のデータでは漢字で調べるとヒット回数が少なく、
(漢字表記が白光炫と白光玹の2種類あるのが原因のようです)
ハングル表記で調べてみると『実録』に4回登場していることがわかります。
それ以外の記録としては『実録』のもとになる『承政院日記』、
鄭來橋の著した『浣巖集』の「白太醫傳」をはじめ、
『熙祖軼事』『國朝人物志』『郷見聞録』『帰鹿集』や
『知事公遺事 附經驗方』『朝鮮医学史及疾病史』という書物、
『林川白氏族譜』などがあるようですがほとんど見る機会がなさそうですよね。
詳細がわかれば追記しますが、だいたいの経歴は下記のようなものになります!
<ペク・クァンヒョンの生涯>
★仁祖3年(1625年)に9男3女の次男として生まれる。
本貫は林川、字は叔微(スクミ)。
★独学で鍼術を学び、(司僕寺ではなく町の)馬医として働いていた。
そのうち人間の腫れ物を外科術で治すことで名声を得るようになる。
馬から落ちた人を治療したのがきっかけ(らしい)。
ときには患者を死なせることもあったが、生き長らえた人も多かった。
これにより内医院の治腫教授として内医院の医官を兼任するようになる。
(医生課程を経て正式に内医院に入ったわけではなく、特例による抜擢)
★顕宗11年(1670年)8月16日(『実録』の1回目の登場)、
顕宗の治療に他の医官たちとともに携わり、褒美を下賜される。
この頃は御医でもなく、複数いた医官の末席だった。
★仁宣王后の髪際腫瘡や粛宗の腫れ物の治療にも成功して「御医」に。
★粛宗6年(1680年)、
ペク・クァンヒョンの父親・祖父・曽祖父に官職が追贈される。
(粛宗から寵愛されていたのでしょうね)
★粛宗10年(1684年)5月2日
康翎 県監に続き、抱川県監に任じられる。(みんなびっくり!)
このとき、低い身分の出身で文字も読めない彼を官職に任じることが議論されるが
そんなことに耳を傾けるような王様(だって粛宗だし)ではないので却下される。
★粛宗17年(1691年)に知中樞府事(名誉職)を与えられる。
★粛宗18年(1692年)に崇禄大夫(従一品)を贈位される。
★粛宗21年(1695年)12月9日
粛宗の忠臣である領敦寧府事ユン・ジワン(尹趾完)が病気となったため
御医ペク・クァンヒョンが派遣された。
彼は腫瘍をよく治すので「神医」と呼ばれていると『実録』に記されている。
★粛宗22年(1696年)12月7日
「老医」ペク・クァンヒョンの下した診断が『実録』に記載されている。
★粛宗23年(1697年)没。
ペク・クァンヒョンの弟の一人も医官となっており、
その他の弟の複数の子孫が医官の道を歩んだとされている。
もちろん彼の二人の息子や弟子パク・スン(朴洵)も後を継いだが
いずれの人々もペク・クァンヒョンほどの名声は残せなかったもよう。
ペク・クァンヒョンは書物では「白太医」と称されるほどの人で、
できものを切開する治療法を朝鮮で初めて行った権威者として名を残している。
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