忠寧大君が帝王学を学ぶと遠地付処を望む重臣と対立しませんか?と
太宗付きの尚膳ノ・ヒボンが世継ぎについての意図を探ります。
弟にすら勝てない軟弱者では将来王になれないと太宗はつぶやくと、
經筵(けいえん)を中断し、世子イ・ジェ(後の譲寧大君)への禅位を宣言します。
刷巻色提調パク・ウンは、忠寧大君の処分を求めて王を追い込んだ重臣を批判。
世子派のミン兄弟は素直に喜ぶも、領議政ハ・リュンは譲位を阻止する考え。
国璽(印鑑)をポンポン試し押しして戯れる世子に、
王の心を察してお返しくださいと弟の忠寧大君が申し入れます。
王になりたいのか?と詰め寄ると泣きだした弟を、弱虫だとからかう世子でした。
イ・ジョンムとイ・スクボンは側室・孝嬪(ヒョビン)と結託しています。
孝嬪は息子・敬寧君(キョンニョングン)を王にできるとは考えてないようですが、
世子が継ぐとミン氏一族に栄華が握られるのを危惧しているよう。
ぐずぐずしてると軍権をとられるわよ!と、二人の“イ”をたきつけ、
夜になるとスクボンを同席させて太宗に酒をつぎながら腹を探ります。
譲位を防ごうと(防ぎたくなくても一応)臣下たちが座り込みを始めます。
国璽を父に返して譲位を拒む世子。なんで?継げばいいのにー!とミン兄弟。
彼らの姉にあたる王妃は、まだ早いしお前たちには力がないでしょ!と冷静です。
キムとカンという男の取調べが始まり、領議政とミン兄弟の不正が暴かれそうに。
領議政ハ・リュンはカン所有の家をもらって側室の家にしていたんですねえ。
タヌキじじいかと思っていたらエロじじいでもあったようです。
ミン兄弟は、セギ婆に内侍オム・ジャチを連れてこさせ、ある文書を偽造させます。
書の達人ジャチは、自筆が悪用されると知って悩み、真実を告白しようと宮殿へ。
しかしミンが放った刺客に刺され、そこをオク・ファンの手下に救われると、
傷を負いながら大君邸へ駆け込み、早く宮殿へ行ってください!と訴えました。
宮殿には、世子を誹謗する匿名書(忠寧大君の筆跡)が貼られていました。
世子は激怒し、王命を受けた内禁衛将カン・サンインが忠寧大君を宮に連行します。
大君の処決を世子にゆだねる太宗。死をもって償え!という決断を下す世子。
第二次王子の乱で守ってくれた叔父(ミン兄弟)の悪事を告白することもせず、
大君は無言でぶるぶると震えるばかり。太宗は世子に刀を渡しました。


コメント
初期ですから(?)王位継承もなんかお作法が確定してない感じで
しょっぱなから物騒ですね!
余談ですが孝寧大君(子役)が「王と私」のジャチ子役さんらしいので、
そして私が気に入っていたので・・、期になります^^
この子役さんのお尻を二つのドラマで4回みるはめになったので(笑)。
(「私」で二回、「キツネちゃん何してるの?」で二回)。
太宗って定宗を強行突破して王様になったんですよね。
はー、兄弟間争いの覇者はタフそうです!
黄梅さま、いらっしゃいませ♪
> 初期ですから(?)王位継承もなんかお作法が確定してない感じで
> しょっぱなから物騒ですね!
そうなんですよ!けっこう荒々しい激動な感じです。
> 余談ですが孝寧大君(子役)が「王と私」のジャチ子役さんらしいので、
> そして私が気に入っていたので・・、期になります^^
> この子役さんのお尻を二つのドラマで4回みるはめになったので(笑)。
> (「私」で二回、「キツネちゃん何してるの?」で二回)。
えーー!お尻をですか?
どうでした?(って、何を聞きたいのだ>自分)
> 太宗って定宗を強行突破して王様になったんですよね。
> はー、兄弟間争いの覇者はタフそうです!
wikiを見ると定宗には王になる気はなかったとありますけど
あのドラマみると結構微妙な描かれ方ですよね~
牽制具合がおもしろいです。
こんばんは^^
ジャチ子役さんのおシリは・・お肌すべすべでした!(爆)
あんまりお子さん♂のお尻をみたことがなかったので、
(いったい何の話か笑)、ものめずらしさもありました。
そう考えると「王と私」って変わった部類に入りそう。
実録をお持ちのうめ子さまならご存知かとは思いますが、
定宗って李氏朝鮮でかなり末代までいかないと王の待遇
受けてなかったんですよね。明から尊号は送られても、
中途半パな立場で・・
後代、礼が整ってきたとき(そして惨事から年月がたった
とき!)、王位争いに敗れた王子や妃嬪の名誉が復活
したり、逆に廃妃ユン氏のようにいったん復活してもま
た廃されたり、いろいろですねー。面白いです♪
そうそう、すごい前の話なってしまいますが、「紫禁城ー」
のお話で、清代の宦官は政治に関わると死刑になり、北京を
離れても死刑になり、実際に処刑された宦官もいるそうです。
ご丁寧にそれを記した石碑を初代皇帝が建てたとか。
眠代の宦官専横に学んだらしく、また眠代の後宮と違い容色を
審査項目からはずしたため、后妃に不美人が多いとか・・
それは本当かな(笑)と思いましたが、とにかく後宮の規模は
眠代より格段に小さくなり宦官の数も100分の1くらいなので
豪華なイメージだけど堅実、質素なところもあるんだなと。
長くなりました、ではでは♪
黄梅さま、こんにちは~
> ジャチ子役さんのおシリは・・お肌すべすべでした!(爆)
ぎゃーっ!!聞くんじゃなかった~と一瞬おもいましたが
子供ちゃんのお尻ですよね。じゃあ大丈夫です(爆
> ご丁寧にそれを記した石碑を初代皇帝が建てたとか。
> 眠代の宦官専横に学んだらしく、また眠代の後宮と違い容色を
> 審査項目からはずしたため、后妃に不美人が多いとか・・
> それは本当かな(笑)と思いましたが、とにかく後宮の規模は
> 眠代より格段に小さくなり宦官の数も100分の1くらいなので
> 豪華なイメージだけど堅実、質素なところもあるんだなと。
これは興味深いお話です!!
でもそれなりに美人は多そうですけどねー
だって皇帝が萌えないと後継ぎにもさしさわるし・・・
こんばんは♪
>だって皇帝が萌えないと後継ぎにもさしさわるし・・・
そうなんですよね、それはありますね(笑)。後代の后妃たちは
写真が残っていますが、有名な珍妃などは当時でも美人だった
そうで、今から見ても綺麗だなって思います。
でも1920年代の上海の名妓の写真を見ると、今の日本の基準
だと?な美人もあるので、いろいろ移り変わりがあるのでしょうか・・
それか写真写りが悪い、写真撮るのに失敗した!とか?
確認したら明代では宦官が最大でうん万人、清朝では最大(西太后
時代)で数千人だそうです。また后妃も清朝だと多くても30人くらい
ですね、大体10人くらいが平均のようで、やはり明代より少なめ、
定員も少なめです。最後のほうになると若い皇帝が増えるのもあるけ
ど3人とかそんなものです。
そう考えると明代ってどうやって後宮の(財政)運営してたんだろう・・
不思議です。余談ですが珍妃と同じ光緒帝の妃で、珍妃の実の姉
の墐(本当は口編)妃というのがいるんですが、ちょっとふくよかで、
当時のあだ名が「太っちょ妃」だったというのに笑っちゃいました。
あだ名って残酷・・・。印象で、宮女にお手つき⇒妃、というのが少ない
のもあります。たまにいるんですけどね。そういう人は身分の低い
「常在」だったりして、「貴人」になるまで随分かかるみたいでした。
安茜たちはすぐ貴人になれてましたものね。
黄梅さま、こんにちは♪
> そうなんですよね、それはありますね(笑)。後代の后妃たちは
> 写真が残っていますが、有名な珍妃などは当時でも美人だった
> そうで、今から見ても綺麗だなって思います。
画像みてきました!目鼻立ちが整っていますよね。
ちょっとふくよか?で、豊かそうな感じの美しさ。
あの写真でああなら、間近で見ると本当に美人だったのでしょうね。
> でも1920年代の上海の名妓の写真を見ると、今の日本の基準
> だと?な美人もあるので、いろいろ移り変わりがあるのでしょうか・・
> それか写真写りが悪い、写真撮るのに失敗した!とか?
あと、やはりお金をかけて身を飾ることによる色気・艶って
あると思います。目鼻立ち云々よりもオス引きのオーラというか。
貧しい時代(というか昔)になればなるほどそうなのではないかと。
> あだ名って残酷・・・。印象で、宮女にお手つき⇒妃、というのが少ない
> のもあります。たまにいるんですけどね。そういう人は身分の低い
> 「常在」だったりして、「貴人」になるまで随分かかるみたいでした。
他のコメントでも教えていただきましたが
中国のほうは李氏朝鮮とちがって後宮内の身分選別が厳しく
女官→高位の側室は難しかったとか。
一発逆転アメリカンドリーム!は無理なのかあ~笑