李氏朝鮮第三代国王である太宗の名は李芳遠(イ・バンウォン)。
ドラマ「大王世宗(テワンセジョン)」では、高麗復興勢力オク・ファンから
「イ・バンウォンめ!」と呼び捨てにされていましたね。
バンウォンの父で第一代国王の太祖(李成桂)は、
もともとは東北面(威鏡道)地方出身の武人でした。
息子たちの中でも五男のバンウォンは優秀でお勉強がよくできたそうです。
科挙に受かれば「田舎の武官」というレッテルは消えるわけで、
バンウォンは熱心に勉強をして15歳で科挙に受かりました。
そして26歳のとき、父が朝鮮王朝を開朝して太祖となります。
ところが父が後継者に指名したのは異母弟のバンソクでした。
(バンウォンは第一王妃の子、バンソクは二番目の王妃の子)
これに反対した第一王妃腹の王子たちが世子バンソクを殺して
父を王座から追放したのが第一次王子の乱。
第二次王子の乱ではすぐ上の兄を制してバンウォンが王世弟となります。
こうして絶大な権力を握ったバンウォンにおそれおののいた定宗が王位を譲り、
1400年、太宗が即位しました。
正妃である元敬王后との間に三人の王子を授かるも幼くして亡くし、
1404年にめでたく譲寧大君が生まれて世子に冊封します。
太宗は世子が小さな頃からたびたび禅位を口にしていたそうです。
理由のひとつは健康不安。
そしてもし自分が急逝した場合に王位をめぐる争いが起こらないよう
先に譲位して自分が補佐しながら王権を安定させておきたかったからだそう。
しかしいろいろあって1418年に世子廃位。
その後すぐに忠寧大君に王位を譲り、四年間は上王として軍権を握った後、
1422年に56歳で亡くなりました。
太宗はソウルにある献陵に眠っているそうです。
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