「大王世宗」のあらすじが、世子廃位→交代のところまできました。
ここで、この経緯について資料ではどう書かれているのかを取り上げます。
長男の世子(譲寧大君・ヤンニョンテグン)は世子の座に14年間ついていました。
彼は厳しい宮中生活を嫌い、風流や狩猟を楽しむのが好きでした。
太宗(テジョン)はたびたび君主としての心構えを説きましたが改善されず、
臣下からの申し出をきっかけに廃位となり、
三男の忠寧大君(チュンニョンテグン・後の世宗)が世子となったそうです。
野史としては、太宗が忠寧大君に後を継がせたいと思っていると察した譲寧大君が
みずから問題行動をとって騒ぎを起こして世子の座を譲ったという説も。
またお勉強を教えにきた
師匠をおちょくって歓迎したり妓生や人の妾との噂もあったそうです。このへん、ドラマのとおりですね。
それから、オリとの仲について。
「朝鮮王朝史」によると確かにオリという妾との恋愛沙汰は伝わっているらしく、
世子妃父キム・ハルロが逢引に手を貸した事件も(詳細は少し異なる)登場します。
いろいろとバレちゃって謹慎すべきなのに世子ったら
こともあろうが宮殿から出ると一目散にオリのもとへ向かったらしく、
これには太宗も臣下もトホホ~~ということで世子廃位が決定的となりました。
忠寧大君に世子の座が移ると決まる前、
37話や
38話あたりで出てきたように、
それなら譲寧大君の息子に世子の座をという意見もあったようで、
長子相続制を望んでいた太宗と王妃もその考えに賛同していたとか。
しかし一部の臣下から強い反対があり、占いで選ぼうか・・・などと迷った末、
太宗が「賢者を選ぶ」と決意し忠寧大君が世子に選ばれたそうです。
廃位された譲寧大君は京畿道広州へ都落ちとなります。
もちろん彼は世宗の王位を脅かす存在なので監視対象となりました。
臣下たちはたびたび譲寧大君への弾劾を起こしましたが
世宗との兄弟愛は深く、世宗は一度も処分しませんでした。
譲寧大君は68歳まで生き、お墓はソウルの西宗廟にあるそうです。
>譲寧大君は68歳まで生き、お墓はソウルの西宗廟にあるそうです
成宗いとこの斉安大君のように、処世術の本でも書いてほしいです!
師匠をおちょくる・・・。さすが。
>占いで選ぼうか・・・などと迷った末
本当に迷走してたんですね!太宗も、定宗から兄弟相続してるし(扱い
が微妙ですが・・)、元世子の息子に継がせて長子相続の格好はとりた
かったんですね。残念でした(?)。
そうそう、中国ドラマと違うなと思っていたのが、李氏朝鮮だと嫡長男が
えらくて遺産もほとんど持っていくみたいですね!同時期の中国は
大体、男子均等相続(女子には特別な事情のない限り相続権がないが、
男子の間では嫡庶の区別も長幼の区別もあまりなく遺産は均等配分)
なので、そこは日本の家制度に近いんですかね^^
次男以下は冷や飯ぐいという・・・