今回は成宗の妃たちとその後の系譜について触れたいと思います。
人物相関図は以下になりますが、鋭い方はお気づきのとおり、
「女人天下」の相関図とほぼかわりません。
燕山君が廃位され中宗に政権が移ったところから始まるのが「女人天下」です。
恭恵王后韓(ハン)氏ハン・ミョンフェは自分の長女を睿宗に嫁がせ
その甥にあたる成宗にも次女を嫁がせていました。花の外戚政治♪ですね。
けれどもこの恭恵(コンヘ)王后、子供を生まないまま18歳で亡くなりました。
(『朝鮮王朝実録』には16歳・18歳の2種類の記述あり)
斉献王后尹(ユン)氏この方が有名な廃妃ユン氏です。
側室時代は淑議として成宗の寵愛を受け、恭恵王后逝去にともない王妃に昇進。
その2年後に息子(後の燕山君)を産みます。
嫉妬深い性格だったそうで、砒素事件→王の顔にキズ事件で顰蹙を買い、廃妃に。
ところが、“次王の母が私家暮らしは問題”という擁護派の意見が多くなります。
宮殿内に廃妃の別宮を設けるということにインス大妃と貞顕王后が強く反対。
そんな折、世子の母であるユン氏に多少の同情を覚えていた成宗が
廃妃の暮らしぶりを偵察に行かせたところ、
反省なんかしてませんよ!と大妃に買収された使いの者がデタラメの報告をしました。
これにより廃妃ユン氏の死罪が決まったそうです。
なお、大妃と後宮(オム&チョンら)がつるんでユン氏を追い詰めたことは
『朝鮮王朝実録』にも記載されているので歴史的な事実となっているようです。
貞顕王后尹(ユン)氏坡平ユン氏出身。先の王妃であるユン氏の廃妃にともない王妃に冊封。
燕山君はこの斉献王后を実の母と思って育ちますがそれほどなつかず、
またインス大妃から度を越すほど辛くあたられていたとか。
成宗は燕山君の性格に多少の不安を感じつつも、
そのころはまだ貞顕王后が晋城大君(後の中宗)を産んでおらず
ほかに王子がいなかったため燕山君を世子に冊封したそうです。