明日まで待てん!誰から始末するか当時の記録を読んで決めてやる!と
燕山君が鍵のかかった史庫の扉をぶち破って『時政記(シジョンギ)』をゲット。
しめしめと喜んでいるのはイム・サホンとユ・ジャグァン(武霊君)だけです。
勇気を出して諭してくれた義兄(かつ晋城大君義父)シン・スグンを燕山君は、
弟だから手を出したくないけど場合によっちゃ晋城のことも許さないよ?
そういえば義父上(シン・スンソン)も母の追放に賛成したよね?と脅します。
手のつけられない燕山君に重臣たちは震え上がり、ユン氏の復位に賛成。
こうして燕山君の母ユン氏は斉献(チェホン)王后に追尊されることになり、
お墓も懐墓(フェミョ)から懐陵(フェヌン)に格上げ。
孝思廟(ヒョサミョ)という名前はそのまま使うことに決まりました。
燕山君は追尊文の作成を急がせ、領議政らが持参すると「書き直せ!」と却下。
成宗は聡明な王だったが策略によりユン氏が廃位されたという内容を書かせます。
興福寺にいた月山大君夫人パク氏が宮殿に来て、寝込む仁粹大王大妃に付き添い中。
大妃(貞顕王后)はこわがって震える晋城大君(後の中宗)を叱っています。
「自分の身でなく大王大妃様を心配しなさい!あなたが守るのです!」。
燕山君はチョン&オム貴人の親や安陽君と鳳安君(チョン貴人息子)を流刑に。
ユン氏に賜薬を運んだイ・セジャは宴会で燕山君の王衣に酒をこぼしたとして
南海(ナメ)に送られる途中の昆陽郡(コニャングン)良浦駅(ヤンポヨク)で
休んでいるときに極刑が下されたとのしらせを聞くと潔くあの世へ旅立ちます。
しかし、イ・セジャが平然としていたと知った燕山君はムカーッ!
イを弾劾せず追尊に賛成しなかった!と臺諫と弘文館の学者を標的にしました。
チョン・チャンソン、ハン・ミョンフェ、シム・フェ、チョン・インジの子孫を罰し、
さらにハン・チヒョンも加えた面々に剖棺斬屍(プグァンチャムシ)を下します。
そして、ユン・ピルサン(貞顕王后はとこ)、領議政ソン・ジュンも追放。
甲子士禍(カプチャサファ)で遠地に送られる人々に罵声を浴びせるシン氏でした。
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