誰もが固唾をのんで迎えた宣祖36年(1603年)5月19日の夜・・・、
王妃(仁穆王后)が産んだのは貞明(チョンミョン)公主(=娘)でした。
王妃も若いしワシも気力があるから次は大君を!と宣祖は意欲マンマンです。
ちなみにこの貞明公主の子孫が正祖(イ・サン)を産んだ恵慶宮ですね。
世子(光海君)の兄である臨海君は、正気ではないと噂され、目に余る悪行ぶり。
今日は参判ユ・ヒソ(儒城君)の側妻を白昼堂々さらってモノにしちゃいました。
ユ・ヒソは世子妃ユ氏の親戚ですが、気が強く臨海君を弾劾しかねない人物。
それを知った臨海君は、山賊におそわせたことにしてユ・ヒソを始末しました。
いくら王族とはいえ罪を問うべき!と怒る王妃を、仁嬪キム氏が諭します。
「そうすれば王妃様が仕向けたと言われますし、臨海君の悪事が明るみになれば
明も次男の光海君を世子として認めないわけにはいかなくなりますよ・・・」。
実は仁嬪の息子である定遠君も臨海君と同じような素行の悪さだったこともあり、
自分の息子まで弾劾されたら困るという仁嬪の個人的な思惑もあったそうです。
仁嬪が収拾するでしょう・・・とこの事態を見通しているのはカン・ホンリプ。
宣祖に長年寵愛されて子だくさんな仁嬪はすごい姻戚ネットワークを築いており、
側室ながらかなりの権力を持っているのです。その姻戚っぷりはというと・・・。
信城(シンソン)君はシン・リプの娘、義昌(ウィチャン)君はホ・ソンの孫と、
貞恵(チョンヘ)翁主は後に領議政となるユン・バンの息子と結婚しました。
貞淑(チョンスク)翁主も同じく後の領議政であるシン・フムの息子と婚姻し、
貞安(チョンアン)翁主は懿仁(うぃいん)王后の甥パク・トンリャン家に、
貞徽(チョンヒ)翁主は右議政ユ・ヨンギョンの孫に嫁いでいたそうです。
兄上をお許しください!と光海君が宣祖に直訴し、王妃と仁嬪もそばで同意。
宣祖はそれを受け入れ、事件を調査していた捕盗庁のピョン将軍を罷免しました。
クォン・ピルらはその人事に憤り、領議政イ・ドクヒョンが勇ましく宣祖に抗議。
王子を罰しろってか?と宣祖は領議政を罷免し、後任にイ・ハンボクを選びます。
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