トッポ僧侶が後金や咸鏡道に詳しいのは、妙香(ミョヒャン)山に長くいたから。
奉恩(ポンウン)寺に来ていると聞き、カン・ホンリプ夫人が会いに行きました。
カン・ホンリプが初めて判書になったとき僧侶に助けられた恩もあるそうです。
そのトッポ僧侶は「朝鮮の兵1400人が逃げたけど後金はわざと見逃したかも?」。
気づいたら捕まえる!そんなわけない!とイム・ギョンオプ将軍が否定してます。
後金にとって7000人の世話は大変だしこれを紛争の口実にできるっしょ?という
トッポ僧侶の鋭い読みをチェ・ミョンギル(遅川)がフムフムと聞くのでした。
朝鮮からのシツレイな返書を読んだ皇帝ヌルハチは無言だったそうで・・・。
王の署名と捺印のない返書は送るな!とチュエンがカン・ホンリプたちに命じ
「明に援軍を送らず後金と和親すると書かないと逃げた2000人を戻してもらう!」
ナメた返書を後金に持参した軍官ヤン・ガンが、国書を持たされて帰国しました。
最初からオレの言うとおりにすればよかった!と光海君が怒るも、臣下は大反対。
光海君は「明を崇めて何の得になるんだ!?」とまで口走って激昂するのでした。
明は遼東の楊鎬を投獄し、ウォン・ジョンピルを経略(キョンリャク)にすると、
さらなる援軍を求めるために明の使臣ウォン・ギョンニョンを朝鮮に派遣します。
ウチの兵は農民だしもう6千人死んだし難しいなあ~と光海君がのらりくらり。
鉄砲隊1000人と兵500人でいいからさ!と使臣がお願いしても、承諾しません。
明の使臣が来ているのに後金に国書を送るなんてこわくてできない!ってことで、
後金には通訳官キム(両班でもなく身分は低い)を送って口頭で説明させました。
朝鮮のこの対応は明の使臣をムッとさせ、後金ホンタイジも激怒させます。
カン・ホンリプからまた結わえた文が送られてきて、和親をすすめていました。
ヤツはオランケと寝食をともにしてオランケになったんだ!と嘲るイ・イチョム。
「国書を送れ!」「不当な王命です!」という議論が1年も続いていたそうです。
そんな折、明の神宗の跡を継いで即位したばかりの光宗が毒を盛られて崩御。
国内では、宣祖の側室・仁嬪キム氏の息子である定遠君が40歳で逝去しました。
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