宣祖41年(1608年)2月1日に宣祖が崩御し、夜は静かに更けていきました。
(とナレーションは言うのですが、どう見ても皆さん声あげて哭泣してます)
光海君は世子でしたが、明に冊封されておらず、宣祖も罵倒していたので、
次の王を決められる立場にある大妃(仁穆王后)がどう出るかがカギでした。
賓庁(ピンチョン)に待機する重臣の中で、今回はイ・ドクヒョンが仕切ります。
領議政ユ・ヨンギョン以外のほとんどの人は、「次王=光海君」と思っています。
そこへ大妃から呼ばれたという都承旨が賓庁に入ってきて報告しました。
「光海君が玉と国璽の受け取りを拒み、大妃様が困っていらっしゃいます・・・」。
父王を悼んでいるだけだからさっさとせっつけよ!と言われて都承旨が退散。
今度は臨海君(光海君兄)が怒鳴り込み、薬房都提調でもある領議政を責めます。
なぜなら宣祖が死ぬ前に食べたのは、東宮から運ばれた食事だったからです。
次に、宣祖が病で倒れたときに書いたという手紙が賓庁に運ばれてきました。
手紙には「兄弟仲よくしておくれ。お前に国をゆだねたい」と書かれていたので、
どうみても世子宛てだよね?これで新王は光海君に決まり!と皆が同意します。
さっさと即位式を!とユ・ヒブン(光海君妃)が促すと、領議政だけが大反対。
睿宗のときも当日でした!日付変わったら式しますよ!と事態は進められます。
そしてここへきて「なぜ今ごろ差し出す?」という手紙が大妃から届きました。
大臣に宛てた『謄書(トゥンソ)遺教』は、亡くなった翌日になって登場した上、
宛名7人のうち5人が仁嬪の姻戚だったので、ニセモノの疑いが消えなかったとか。
中身を確認した重臣たちは、幼い永昌大君を心配する内容にすぎないと判断し、
臨海君が宮殿を攻めようとしているという情報もあり、即位式を急ぐことに。
こうして崩御翌日の2月2日、長らく世子を務めた光海君が、34歳で即位しました。
未亡人となった大妃は25歳の若さで、この後、悲しい運命を辿ることになります。
世子の即位が決まったから配流地に行くわ!とイ・イチョムが旅立ちました。
広州では、牧使ホ・ギュンの周りに地元の野望ある庶子たちが集まっており、
そこにチョン・インホンやクォン・ピルも加わって政治談議をしています。
大妃との別れを惜しみ、オム尚宮を大妃のために残し、仁嬪が宮殿を出ました。
息子・定遠君の家に着くと、一人の孫(綾陽君→仁祖)が思わせぶりに写ります。
ドラマ内では2月のはずなのに、輿から降りてなぜか汗を拭く仁嬪でした・・・。
スポンサード リンク