王妃(仁穆王后)が永昌(ヨンチャン)大君を生み、緊張走る宮殿では・・・。
キム・ゲシ尚宮(ケトン)が世子(光海君)に報告と忠告をしていました。
「慶祝の儀をさせようと仁嬪が領議政に手紙を送ったのが許せません!
領議政を封じる人物をお探しください。仁嬪のことは私がどうにかします」。
ってことで光海君は世子妃ユ氏の兄ユ・ヒブンに領議政を見張らせることに。
聡明で信頼できる♪とキム尚宮をほめる世子の横で、イヤそうな世子妃です。
世子様の立場もあるのだから慶祝の儀はよく考えるべきと皆が主張するも、
世宗時代に広平大君や永膺大君のときもしたっしょ?と領議政ユ・ヨンギョン。
謙虚に断っていた宣祖に右副承旨と左副承旨をしつこく送って承諾させました。
自分勝手な領議政に憤慨した左議政キ・ジャホンは参席拒否を決め込んで帰宅。
慶祝の儀のため宮殿に向かう途中のイ・ハンボクがなだめても無駄でした。
中宮殿では、混乱を望まない王妃の母が中止を主張し、仁嬪は反対しています。
ところが、臣下の意見の食い違いに気づいた宣祖が、慶祝の儀を中止しました。
この事件は領議政の腹黒さを露呈したそうで、左議政は辞職(領議政は留任)。
新しい左議政は右議政からシム・ヘスが昇格、右議政はホ・ウクが登用されます。
士大夫の心意気を示されました!とユン・バン(稚川)はキ・ジャホンを賞賛。
そこへ府院君(王妃父)が訪ねてきて、気の毒なことをしましたと詫びました。
文禄・慶長の役が終わると、対馬の島主・宗善智は朝鮮との通行を求めました。
そこで朝廷は、成宗と中宗の陵(みささぎ)を荒らした人物を差し出せと要求。
対馬から送られてきた2人を見て、イ・イチョムとホ・ギュンがあきれています。
「どうみても子供(19歳と17歳)じゃん?戦の当時は幼な子だったはず・・・」。
まずは平然と橘智正を呼んで質問しましょう・・・と世子は主張しますが、
倭国と波風を起こしたくない宣祖は二人を死罪にして事態を収束させます。
そんな折、宣祖が倒れました。(「子づくりで体力使ったからだろ」と臨海君)
イ・イチョム、ユ・ヒブン、ホ・ギュンの三人が今後の作戦を話し合っています。
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