燕山君時代の盗賊ホン・ギルドンとは違うと釈明した刑曹判書ホ・ギュンは、
「経国大典」の庶子禁錮法を撤廃したいという願いをイ・イチョムに訴えます。
この小説を残したいホ・ギュンは彼の「廃母論」に協力することにしました。
新たに登用されたり科挙に及第した人は、大妃に挨拶する慣習があったようです。
ですが兵曹判書になったユ・ヒブンは、大妃(仁穆王后)に挨拶に行きません。
兄の無礼を王妃ユ氏が憤慨していると、キム・ゲシ尚宮(ケシ/ケトン)が入室。
西宮(慶運宮)に届いた匿名の矢文を見せ「廃位して当然です!」と説きます。
こうしてユ・ヒブンにつづき、他の人たちも大妃に挨拶に行かなくなりました。
さらにイ・イチョムが大妃への強硬な処分を訴え、右議政ハン・ヒョスンを催促。
ほとんどの臣下はわが身かわいさで絶大な権力を持つイ・イチョムに同調します。
そんな中、領議政キ・ジャホンとユン・バンはイ・イチョムに反対のもよう。
カン・ホンリプの叔父(名前がわかりません)も反対する覚悟を決めたらしく、
お前は国の将来のために生きろ・・・とカン・ホンリプの行動は止めました。
ついに「廃母論」が発議され、臣下の意見を広く問う収議(スイ)にまで発展。
合計1000人(旧大臣930人・王族170人)にも及ぶ人が大妃を批判し始めます。
王族の中でも仁城(インソン)君・陽川(ヤンチョン)君・文城(ムンソン)君は
「大妃と同じ空の下で生きられない」と訴えたほど強硬だったそうです。
王族の中には綾原君も加わっており、父の定遠君(仁嬪息子)はたいそうお怒り。
仁城君(同腹)にも抗議すると「ガタガタ言うなら家に来んな!」と言われます。
領議政キ・ジャホン、イ・ハンボク、チョン・ホンイクらが反対の上書を出すと、
すぐさま弾劾返しをされ、臣下の強い要求に応じて光海君が仕方なく罷免。
「生ぬるい!」「じゃ、じゃあ官職剥奪」「甘すぎる!」「じゃあ配流で・・・」
「近すぎます!」「辺地に島流しにするわ」とコント状態の光海君です。
配流される途中にイ・ハンボクが詠んだ詩は後世まで伝えられているとか。
西宮で暮らす貞明(チョンミョン)公主(大妃の娘)がはしかにかかりました。
王妃ユ氏は侍医を送れとパク尚宮に命じますが、キム尚宮に止められます。
キム尚宮ったら、公主の病気が治らないようにと呪いまでかけるようですよ!
スポンサード リンク